「金の切れ目は縁の切れ目」「愛想尽かしも金から起きる」「貧困がドアから入ってくると、愛は窓から飛び出していく」などなど……世の中には、金と人の繋がりを題材にしたことわざが多く存在する。

幼い頃、それらのことわざを目にすると私は一種の嫌悪感を抱いた。お金がなくなったら、その瞬間、その人を見放すなんて……なんて悲しくみじめなことだと思ったのだ。
そしてそんなことは自分の周りでは絶対に起きないと思っていた。

仲良し家族と有名だった私の家族は、お金がきっかけで崩壊していった

しかし、金の切れ目は縁の切れ目ということわざ、27歳の私は強く同意する。
仲良し家族と有名だった私の家族。お金がなくなったとたん、崩壊していったことがきっかけで、私の心は変化したのだ。

事件が起きたのは両親が結婚25周年のアニバーサリーイヤーだった。
正月には25周年のお祝いをした。幸せな食卓、変わらぬ家族の会話。このときは当たり前のように今年も家族で仲良く時を重ねると思っていた。
しかし、それから半年後、父からの1通の手紙で状況は一変した。

「まもなく定年を迎えます」という書き出しから始まった父の手紙には、定年後再雇用になると給与が減少すること、老後の為に資金を貯めたいこと、そしてその為、自宅を売却したいと考えていることや、今後は家庭には10万円しか入れないこと、ケータイ代や国民健康保険、学費なども各々で用意してほしいことなどが書き連ねられていた。

手紙を見て、母や妹たちは大きく動揺した。母はパート従業員、妹たちは学生だったので、父の収入が頼りだったし、それがなければ、生きていくことが出来なかったからだ。
母は父に猶予をくれないかと懇願し、抵抗の態度も示した。しかし、父はそんな母たちに対して、ケータイ代や国民年金の支払口座の変更の催促を送り続けたり、毎月10万円の家計費以上になった場合には、翌月分の10万円からの天引きを行ったりした。

崩れていく家族の姿を、ただただ茫然と見ることしかできなかった

貧困の波が押し寄せるにつれて、母や妹も父に対して心を閉ざしていった。そして、今までにぎやかだった食卓にはだれも集まらなくなり、家族からは笑顔が消え、私の家族はまるで建物が倒壊するかのようにガラガラと音を立てて、壊れていった。

私は崩れていく家族の姿をただただ茫然と見ることしかできなかった。
会社に勤めていたから、家族に迷惑をかけないことはできたが、私には、父の将来への不安を取り除く財力もなければ、母や妹の生活を全面的に支える財力もなかった。だから目の前で起きている出来事を見守ることしかできなかったのだ。唯一、母が家を出ると決めた時の引っ越し代は出せたが、それだけでも会社に入って1年も経たない私の貯金は逼迫した。

こうして25年続いた私の家族は、お金を前に無残な姿になった。25年間の年月の中で、家族全員で積み上げてきた思い出や家族の間で何度も交わされた大好きという言葉の数々はお金に敵わなかったのだ。
愛が簡単に金に負ける姿を見て、私は、金の切れ目は縁の切れ目とは、昔の人は本当によくいったものだと心から思うようになった。

お金の管理は、お金の怖さを知った私のできる、最大限の抵抗運動

私は毎日、日記と家計簿を付ける。いつからだろう……社会人になって気が付けば付けるようになっていた。しかし最近は特に念入りに記入するようになった。
端数の端数まで……そんなに細かく管理しなくても……と家族は私の様子を見て笑う。それでも私は1円単位まで記入する。
それはなぜか……お金を徹底的に管理することはお金の怖さを知った私のできる、最大限の抵抗運動だからだ。

お金ごときで切れたくない縁が私にはある。そして小さい頃の自分に金の切れ目が縁の切れ目になるかは人次第だよと言ってあげたい。
だから今日も私は自分の大切なものを守るため、黙々と家計簿を書く。