書いては消し、書いては消し…。目を閉じたまま「送信」を押した

「おひさしぶりです。お世話になっております……」
そんなふうにLINEを打つのは1年半以上ぶりだった。
思わず手を止めては、同じように息までも止めてしまう。ちいさく震える指先を誤魔化すようにして、つづきを書いた。

自分が実習生だった頃に見学させていただいていた方と同じような症状の患者さんを担当し始めたこと、珍しい疾患であることに加えてうんともすんとも上手くいかず、文献を読んでも糸口が見出せずにいること、年の瀬で頼れる外部の専門医の往診がないこと。
そしてなにより、自分の評価と介入に自信がないこと。

書いては消し、書いては消しを繰り返し、どうにか簡潔にまとめて、ぎゅっと目を閉じたままタップする。送信。
その後は反応が気掛かりではなく、返信にすぐ対応すべく浴室にまでスマホを持ち込む有様だった。

こんなふうにして先生にLINEを最後に打ってから、もう1年半以上経ったことも、先生のもとで病院実習をしてからもう4年以上の月日が流れたことも、いまだに信じられずにいる。
今となっては自分があのときの先生と同じ立場として、患者さんに向き合っているということも。

優しくて熱心な関西弁の先生。実習から月日が流れたけれど

LINEを送った相手は、学生時代の病院実習で2ヶ月間、実習担当としてお世話になった先生だ。
リハビリのリの字も分からぬわたしを「ほんっと自分(わたし、のことである)アホやなあ?!」と関西弁で軽快に指導してくださった方だった。

初めて向き合う患者さんとのアレコレに何度も泣くわたしに、優しく熱心に向き合ってくださった。
先生の使う「アホ」からは親しみと愛情を感じた。そう頻繁に仰るようになったのは、実習の後半だったから。

実習が終わって大学に戻ってからも縁があり、定期的にお会いしては進路相談をした。縁に恵まれず別の職場で働き始めてからも、こうして頼らせていただいている。
とはいえいつまでも甘えてはいられないので、なるべく連絡は取らないように努めていた。もう学生だったあの頃とは違うのだ。先生はもう何人も違う学生の実習担当をしていらっしゃるし、気付けばわたしも学生の実習担当をするようになった。
もうわたしは違う病院所属の一スタッフなのだから。だからこそ先生への連絡は、もう為す術を失ったときに縋る最後の砦だ。

「目の前の患者さんにしっかり向き合いなさい。担当するからには責任を持って良くしなあかん。そのためにはなんだってせなあかんし、自分が1番その人のことに詳しくないとあかんよ」
それは実習の頃に先生から教わったことだった。だからわたしは患者さんに良くなっていただくためなら、最後の砦にだって頼る。

連絡を取っていなくても、先生との関係はきっと変わらない

しばらくして何通かやりとりをした後、詳細を話すべくお電話をいただいた。
かいつまんで個人情報に気をつけながら、経過や自分がしてきた介入、見立てを話した後、せやなあ、と呟いてから先生が続ける。
「ええんちゃう」
その一言が、嬉しかった。

「自分のやってることは間違ってへんよ。俺もそうすると思う。あとはせやな、気ぃつけとかなあかんことは……」
お墨付きをいただけた安心感と、その上で気にすべき幾つかの項目、介入の進め方などを的確に教えてくださった有り難さに思わずそっと息をついた。
「大丈夫。多分その方、良くなるで」
付け足されたその一言が、どれほど嬉しいことか。
そう思っていたのも束の間、適宜「これはどうしてるん?」「 ○○の数値はなんぼくらいなん?」と聞かれるたびに背すじが伸びる。
実習生だったあの頃から何年経ってもまだわたしは、先生の学生なのだ。

臨床はこわい。何年経っても患者さんと向き合うことは難しいし、担当する方にはじめてお会いする前日は考えすぎて眠れなくなるほどだ。
それでもわたしはずっと、先生から教えていただいたことを頼りに毎日患者さんのもとへ向かっている。連絡を取っていなくても、ずっと心の何処かで頼りにしている。

「どうしてるかなと思ってた。自分のそういう熱心なとこ、変わってなくて安心したわ。端々まだアホやけどな。また連絡しておいで」
電話を切る間際、先生のその言葉にわたしは実習生だったあの頃みたいに「はい!」と元気よく返事した。