小学校の図書室で、表紙も裏表紙も真っ黄色な本を見つけた。
「かいけつゾロリ」シリーズを借りにきた私だったが、どうにも気になってしまい、その本を手に取った。
ページをめくると、字、字、字……。9歳の私に読めるのか?でも、借りてみたい。私は司書の先生の元へ向かった。
それが、私と『カラフル』(著者:森絵都)の出会いだった。

9歳の私の胸を高鳴らせてくれた本は、たくさんのことを教えてくれた

「死んだはずのぼくの魂が、ゆるゆるとどこか暗いところへ流されていると、いきなり見ず知らずの天使が行く手をさえぎって、『おめでとうございます、抽選にあたりました!』と、まさに天使の笑顔をつくった。」

冒頭から衝撃だった。彼には生前の記憶がなく、神様の抽選に当たったとかで、他人の身体に「ホームステイ」することになる。

「気がつくと、ぼくは小林真だった。」という次の章の冒頭も衝撃だった。他人の身体に入るってどのような感覚なんだろう。小林真は、「服薬自殺」を図った少年ということだけど、フクヤクジサツってなんだ?え、薬飲んだら自分で死ぬことができるのか。

9歳の私には、新鮮な言葉が多く、ドキドキしながら読んでいた。「セックス」や「援交」という言葉も、小林真の同級生・ひろかの影響で初めて知った。なぜセックスをするのかよく分からなかったけど、お金がもらえるなら良いなと思った。

同じく小林真の同級生・唱子がなぜやたらと絡んでくるのか。そして、なぜ唱子がきっかけで、前世を思い出したのか。よくわからないなと首をかしげながら読み進め、ぼくはどんな罪を犯したのだろう……とページをめくって衝撃を受けた。

ぼくは小林真だったのか。
9歳の私は胸が高鳴り、母親にも「カラフル読んで!」と勧めて、読み終わった母親に「びっくりしたでしょ?ぼくって小林真だったんだよ」と言った。母親が「そうかなと思ってた」と冷静に言ったのも割と衝撃だった。

印象的だった言葉が、極限状態の私の心を後々支えてくれることに…

ぼくは自分が小林真だと分かった後、地上に戻ることに躊躇してしまう。生きることに
自信のない真に、天使のプラプラが「ホームステイだと思えば良い」という提案をし、疑問に思う真に言う言葉が印象的だった。

「そう、あなたはまたしばらくのあいだ下界ですごして、そしてふたたびまたここにもどってくる。せいぜい数十年の人生です。少し長めのホームステイがまたはじまるのだと気楽に考えればいい」

もしかしたら私も、本当は他人の身体を借りて生活していたりして。そう思うと人生って面白いな。私は9歳にして、人生を悟った気持ちになった。

私は、小林真の年齢をあっという間に追い越し、真の兄・満と同じ歳、高校3年生になった。
「死にたい」。そんな気持ちを初めて持ったのがこの頃だ。周りの友達は進路を決め、ガツガツ勉強している中、私は将来の夢も行きたい大学も決まらず、毎日がしんどかった。
電車を見て、ここに飛び込んだら……なんて想像することもあったし、カッターを肌身離さず持ち歩いている時もあった。

そんな極限状態の私が、本屋に行ったとき、表紙も裏表紙も真っ黄色な本を見つけた。
「あ、カラフルが置いてある。懐かしい」と思った瞬間に、最後の章でプラプラが小林真にかけた言葉を思い出したのだ。

どうせホームステイだから、と思えるようになったのは本におかげだ

「確か、ホームステイをしていると思えば良い、ってプラプラが言ってたな……」
そこで、私はホームステイだと思い込むことにした。進路が決まらなくたって、どうせホームステイだから大丈夫だ、他人の身体なんだから。

そこから私は、大好きなアイドルのライブ映像を見まくるようになり、気持ちがすっと楽になった。大学受験しようかな、という気持ちになったのは、私立大学の入試2か月前。第一志望の大学は落ちてしまったが、第三志望の大学に受かり、「死にたい」と思っていたことも忘れ、楽しい大学生活を過ごした。

社会人になり、壁にぶち当たることが何度もあった。
その度に、部屋の本棚にある真っ黄色な本を開く。12章で小林真が、色の見え方について考える場面がある。
「角度しだいではどんな色だって見えてくる。」と小林真が言うように、壁だと思っていてもチャンスな時もある。嫌な同僚に出会ってしまったと思っても、同僚にも長所は必ずある。真っ黄色な本も、夕陽に照らされると、白い本に見える。
「人生は、冒険だ」という言葉を耳にしたことがある。私も、元気な時は冒険だと思っている。しかし元気ではない時は、こう思う。
「人生は、ホームステイだ!」