「あなたは1人でも生きていけるように、強くなりなさい」
そう母と祖母に言われて育った私は、両親に勧められるがまま大学を出て、いくつかの資格をとり、いわゆる大企業に就職をした。
母と祖母は事あるごとに「一人でも生きていけるように」と言っていた
母と祖母は結婚生活に不満があった。
特に祖母は、祖父が亡くなる直前まで熟年離婚を考えていた。
ただ金銭面を理由に、子供たちに迷惑をかけるからと離婚には踏み切らなかった。
母と祖母の教えは、一生独身でも平気なように、もしくは結婚して万が一離婚をすることになっても、自分に十分な稼ぎがあればパートナーに対して下手に出なくても良いからだという。
事あるごとに、「1人で生きていけ」と言われていた23歳の私は、なぜこれから未来のある娘にそんなことを言うんだろうと耳を塞ぎたくなった。
反動からか、私は24歳で結婚をした。
夫は学生からの付き合いで、就職してからは遠距離だった。
結婚を機に私も夫の元へ引っ越すことになり、会社を辞めた。
大企業に勤めていることは親を安心させていただろう。
1人でも生きていけるお給料をもらい、生活に安定があった。
しかし、その生活は孤独で寂しかった。
結婚して間もなく、第一子を授かり、無事に出産した。
最愛な人とのかけがえのない我が子を抱いているとき、幸せを噛みしめた。
本当に幸せだった。我が子が愛おしかった。尊いとはこのことなんだと何度も実感した。
それなのに私は産後うつになった。
「母親になんてなれない」と思った私は初めて「できない」と言えた
母親になったのだから自分がしっかりしなくては、と常に気が張った状態だった。
初めての育児で分からないことだらけ、頻回授乳や寝かしつけで睡眠不足。
誰かに助けを求める余裕もなかった。
うつの症状は良くなることなく、しばらくすると無気力状態になった。
もう私に育児はできない。
母親になんてなれない。
家族を持ってはいけない人間だった。
そう思い、死を考えた。
しかし我が子の笑顔を見るたびに、この子を残して死ぬことはできないと踏みとどまった。
泣きながら夫に訴えた。
「周りのような母親にはなれない。もう頑張れない、できない」と。
初めて自分から「できない」と言えた日だった。
強くあれと育てられた私は、これまで、「できるか」と聞かれれば、やったことがなくても「できます。やらせてください」と答えてきた。
そして周りの期待に応えられるよう、期待を超えられるように全力だった。
「できない」ということは負けで、逃げで、弱いことだと思っていた。
一人で生きていける強さとは、金銭的に自立するだけじゃなかった
その日をきっかけに、夫や両親、義父母に少しずつ助けを求めることができるようになった。
周りを頼れないことは私の弱点だ。
1人で抱え込むことは強さじゃない。
「強さ」とは、お金があることでも、1人で頑張れることでも、弱音を吐かないことでもない。
自分と向き合い、弱さを知り、それを認め、周囲に頼れることだ。
母と祖母の言う、1人で生きていける強さとは仕事ができ、金銭的に自立していることだけだと思っていた。
だがきっと、誰かに頼ることを逃げだと思い続けていたら家族との生活も、1人で生きていくこともできないだろう。
人は完璧に1人では生きていけないのだ。
切実に生きるために人は支え合わなければならない。
頼ることができるようになった私は今とても生きやすい。そして幸せそうにしている私を見て、母と祖母は「よかったね」と言う。