先日、5歳の男児が、実の母親とその母親を洗脳しマインドコントロールしていた“ママ友”からの虐待を受け、餓死するという痛ましい事件が起きた。
同じ子供を持つ母親の立場から言わせてもらうと、一番守ってあげないといけない我が子を犠牲にするまで、自我を失ってしまった母親が信じられず、その子が可哀想で堪らなかった。
様々なコミュニティが存在するが、「ママ友」は群を抜いて面倒くさい
この事件の更なる異様さは、あくまで他人である“ママ友”が一家族に介入し、その家庭を崩壊していったこと。
自分にも子供を通して付き合いのある“ママ友”が数人いる。そこまで深い付き合いはないにしても、それでも人間関係に煩わしさを感じることが時折あるため、どうしてそうなってしまったか、容疑者同士の関わり方に若干の興味を抱いた。
会社や地元、様々なコミュニティが存在するが、“ママ友”コミュニティは、群を抜いて面倒くさいと私個人は思う。そもそも子供がいなければ、関わることのなかった人達。自分は警戒心が強いから、親しく話しかけられたとしても、出会ってすぐに自分の腹の内を見せるのは引けてしまう。どうしても探り探りの関わり方になってしまい、その時点でまず気疲れが発生する。
ただ、子供のことを思うと、全くの無干渉な態度を取るのも大人気ないと思うから、つい頑張って“○○くんのママ”を演じながら接してしまう。
自分の母親は、あまり“ママ友”同士の関わりをもつタイプではなかったゆえ、子供時代は親同士が仲の良い友人のキャンプや公園に遊びに行った話を羨ましく聞いていた。自分が母になって思うのは、“ママ友”付き合いは非常に面倒臭く、我が母の塩対応スタンスもあながち間違いではなかったように思える。
私は他人の目を気にして、どうしても八方美人になってしまいがちだ
そもそも“ママ友”以前に、自分は“グループ”や“仲間とつるむ”ことが苦手な人間だった。友人は沢山いなくても、一人、二人でも自分の信頼が置けて、心の内を吐き出し安心感を得られる子がいたら十分。
一方で、「真面目で良い子だね~」と言われ、型にはめられ育ってきた弊害で、他人の目を気にして「No」と言えない人間になってしまった。どうしても八方美人になりがちで、いわゆる一匹狼として一人でいるほうが、フットワークが軽く楽だと思えることが多々あるのに、無理をして群れに属してしまう。
先日もその性格が出て、自分の首を締めてしまう出来事があった。お互いの出産を機に、再び連絡を取り合うようになった旧友。まず、その子とは元々さして親しくなく、会う度に妙な緊張感を感じてしまうのに、更なる“ママ友”軍団の集まりに誘われてしまった。
初めは、やんわり予定があることを理由に断ったものの、向こうもこちらに都合を合わせてくれ、結局会うことになる。案の定、希薄な繋がりしかない“友人の友人”は、気の遣う集まりでしかなく、疲労感と自己嫌悪、後悔だけが残った。
嫌ならはっきり嫌だと伝え、自分を疲れさせないことも大切だと思う
いくら我が子のことを思えど、無理をしてまでコミュニティを築こうとするのは間違いだと思う。嫌ならはっきり嫌だと伝え、自分を疲れさせないことも一つであるとは大いに理解している。しかし、それが出来ないのは、きっと“ママ友”関係以前に、自分の中で人と接するにあたって不器用な部分が改善されていないからだ。
話を例の事件に戻そう。どんな真相が背景にあるかは、部外者である自分は知る由もないが、もし「子供のために」と思って両容疑者が関係をスタートさせていたとしたら……。
想像したくもないが、“ママ友”付き合いでウジウジと悩んでいる自分の身にも、降りかかった話かもしれないと思うと恐ろしい。
もっと自分のやりたいようにのびのびと生きて、人目を気にしない強い母になりたい。自分の中での揺るぎない優先順位第一位は、我が子なのだから。