私が幼かった頃、専業主婦だった母親は夕食どきの1日1缶と決めたビールを飲んで酔うと、必ず自分の苦労話をした。

「お母さんが小さい時はね、朝早く起きて板間を雑巾掛けをしたもんだよ」
「あそこの家と付き合うと貧乏がうつるって言われてね」
「じいちゃんには必ず焼き魚の美味しいところを回すんだよ」

かなり田舎の出身で、祖父が病気で倒れ、祖母が働きに出ていた故に大正生まれの曽祖母に育てられた母である。そして、最後には必ず「お父さんには感謝しなさいよ」と言うのだった。

面白いのは男子、頭が良いのも男子。「メインは男子」と感じていた

小学3年生頃から、私は男っぽく振る舞うようになった。言葉遣いも荒く、色んな子がいる小学校では男子達と話す方が気楽だった。
家でもそのような振る舞いをしていたら、母から「女の子なんだから」という理由で言葉遣いや座り方を注意された。
いとこに男性が多いだとか、赤ちゃんの頃の公園遊びの友達に男の子が多かっただとか、そんな理由で男性的な振る舞いが身についたのだとずっと思っていた。
でも、1年ほど前から今の自分が出来上がった経緯を考えているうちに、どうもそれだけではないような気がしてきている。

小学生の頃、なんとなく、なんとなくではあるが、「メインは男子」と、そんな風に感じていた記憶がある。
面白いのは男子、頭が良いのも男子。女子はキャピキャピしてなんか嫌。体育で紅白帽の被り方に拘って馬鹿みたい。
どこかそう思う中で、「男子とも対等に話せる自分」を誇りに感じていた気がする。高校に進学し、共学でも性差をあまり感じないコミュニティに入ってからはそんな意識も薄らいでいったが、28歳の今、幼き頃の自分にそんな可能性を感じ、おいおい、とんだミソジニストじゃねえか……と震えている。

伝統的家族観における女性像を植え付けた、閉鎖的な母娘関係

このままじゃ思考のタイムトラベルは終われない。じゃあ、何が私をそうさせたのだろう。じっくり考えてみた。
私の中にある女性像は、どうやら母なのである。親友のお母さまが政治やフェミニズムに関心があって、母娘でそんな話もすると聞いて驚いた。身近な親世代の女性でそのような人がいるとは思っていなかったからである。

私の女性像である母。父は仕事が忙しく、自分の生まれ育った環境とは全く違う都会で一人子育て。精神的にも大変だったに違いない。
幼かった私に不機嫌をぶつけることもあった。そんな日の翌日、私は笑顔を浮かべてなるべく明るい口調で母に話しかけ、笑ってもらおうと努力した。
妹が生まれるまでの9年間、二人きりの閉鎖的な母娘関係は、私に他人のご機嫌を取るスキルを身に付けさせ、伝統的家族観におけるステレオタイプの女性像を植え付けたのではないか。成長の過程で性別の隔たりが明確になっていく中、集団の中で女性であることを無意識に拒んだのではないか。
これが私の暫定的な結論である。
別に書類の性別欄で女に丸をつけることに苦はないし、これまで男性とお付き合いしたこともあるが、女として見られ、女として扱われることには物凄く抵抗がある。

28歳、結婚のプレッシャーをかけてくるのは、母だけではない

28歳。
私は2年間の浪人生活を経て20歳で音楽大学に入り、その後大学院にも行かせてもらった。そこで自分の研究をより深掘りしてみたくなり、博士課程への進学を検討し始めたのは25歳の頃である。
学費は自分で出すからと親を説得しようとすると、母は眉をひそめながら「結婚は……?」と言った。

浪人中、私があまりに辛そうにしていたからか、母からは頻繁に「すごくなんかならなくていい。普通の大学に行って、普通に働いて、幸せになってくれれば良いのよ」と言われていた。
母からすれば子を心配しての言葉だったのかもしれない。でも、普通ってなんなんだ?私がなんとしてもやり遂げたいことをどうして素直に応援してくれないんだ?と思っていたし、今思えばその普通の中には、結婚して、子供を産んで、というのも入っていたのだと思う。

28歳。
母親からの結婚プレッシャーは私が一度ブチ切れたことで収束したが、圧をかけてくるのは母だけではない。親戚の結婚式での叔母。

「あらぁ!綺麗になって!明日にでもお嫁に行けるわねぇ!」

悪気がないのはわかっている。叔母の言動は予測済みだったので、予定通り、表情筋をフルに使って時間が過ぎるのを待った。視界に入った母の顔が困惑していた。

最近ようやく「私という人間」や「性」を整理できるようになってきた

今年度、私は大学院を休学していた。自分の物の考え方が自分の首を絞めているような気がして、精神的に参ってしまったため、どうしたら生きやすくなるかをゆっくり考えたくて、一時避難のつもりで休むことを選んだ。
親友たちは私の取り止めのない話を穏やかに聞いてくれたし、幸い沢山の出会いにも恵まれ、最近ようやく「私という人間」や「性」について整理をつけられるようになってきた。
ただ、母に対する自分の中のわだかまりは解けていない。

母も生き辛さを感じていたのではないか?父がもっと家庭に協力的だったら?

それを母に直接尋ねられるほど私はまだ大人になりきれていないし、今更両親に何か言ってほしい訳でもない。どっちつかずな感情はそのままだ。

私は何が好き?
私は何が嫌?
私は何をしたい?
私は何をしたくない?

親友の一人は、女であることに誇りを持っていると言った。
じゃあ私はどうだろう?

いつの間にかどこかへ忘れてきた数々の自分自身への問いかけを、毎日新鮮味を感じながら投げかける。違和感を覚えたことは沢山考える。
私は誰かの理想像にはならない。私は既存の枠組みにはまりに行かない。自分のことは自分で決める。信頼できる親友たちの肩を借りながら。

これが私のわきまえない“女”としての日常。