専業主婦。夫は上場している大手金融関係に勤める。女児が二人。
これが私の肩書き。
「わきまえている女」だと思わない?
自分の肩書きを書いたら、夫の説明の方が長い。

母のぼやきに、主婦以外の肩書をもたないことの意味を知った

昔、母が言っていた。
「どんなにPTAを頑張ったところで、この頑張りはパパの名前でしか残らない」
その言葉に衝撃を受けた。
もしかして私も主婦以外の肩書きをもたないと、こうやって思う日が来るのかって。
母のぼやきを聞いたのは高校生の時だったから、男子学生と競争がない女子大を「あえて」選んだ。
浅はかな私は、これで競争は半分減ったと思っていた。
でも就活の時に思い知るのだ。
せっかく選んで入った女子大の就職推薦枠は一般職ばっかりだということに。
女は一般職でもやっとけってこと?

キャリアセンターで渡された求人票をみながら、そんな疑問がわいてきた。
みんなと同じように黒いスーツに身を包み、みんなと同じようにせっせと手書きのエントリーシートを会社に送っていた。
当時はパソコンでのエントリーが始まったばかりだったので、従来通り手書きを求める会社が少なくなかった。

ある説明会で挨拶を兼ねた簡単な自己紹介をしたときがあった。
説明会終了後、全く知らない男子学生に「その三流女子大でよくこの会社の説明会に来れたね」と声を掛けられた。
恥を知れ、という意味だと思うが、私はなにもいうことができなかった。
良くも悪くも大学の校訓「良妻賢母」が口を閉ざさせた。
つい「わきまえて」しまうのだ。

寿退社し、子供にも恵まれめでたしめでたし…ではないのが人生

世の中への反発心から総合職を選んだ。
あの時「わきまえて」しまったことも後悔していた。
ここならちゃんとした「肩書き」がついている。誰にも馬鹿にされない、大丈夫。
そんな思いを抱えて、このまま定年まで勤めると思っていた。
でも、自分がここで課長になって、どんどんキャリアアップする、という未来を想像することがどうしても出来なかった。
それはそうだ。「肩書き」で選んだ仕事で、仕事の内容に確固たる思いがあったわけではないのだから。
そこで寿退社し、2人の子どもにも恵まれ、幸せに暮らしました。
めでたしめでたし。
……ではないのが人生。

二人の子供はかわいい。
でもそれだけじゃいやなんだ。
会社を辞めたことを挫折という形でとらえていた私は専業主婦ではなく、きちんとした形で仕事をして、それを「肩書き」にしたいと考えていた。
そうすることが挫折から私を救ってくれると信じていた。
そこから様々な資格にチャレンジするもあえなく玉砕。
難関資格の社労士に見事敗れた時、次に目をつけていたのは国家資格キャリアコンサルタントだった。
周りの人に良く相談されるし、やってみようかな、というかなり軽い気持ちだった。

受講仲間で私だけが専業主婦。周りは「え?なんで?」という空気感

この講座で一緒に勉強していた方は「人事部」「人材派遣」「人材コンサルタント」に携わっていて、私だけが専業主婦だった。
講座で一緒だった方々は「え?なんで?」という正直な反応だった。
中には「人生の夏休みですね」と言われる方も。
何を発言しても「わかってないな~」という空気感。特に年配男性からはひしひしと感じた。
すみませんね、こっちは社会人経験2年半しかないんでね、と途中から開き直った。
そして分かったことがある。
世の中の常識から逸脱する度に、それを押し戻そうとする空気が出来上がることに。
これは就活の時に感じた「なんで女子が総合職?」と同じだ。
専業主婦がいまさら何を勉強するの?そういう疑問が湧きあがった時、わからないから「知りたい」ではなく、わからないなら「わかるような枠に嵌めたい」そういう心の動きがあるんだなと感じた。
勉強していた「共感」とはほど遠い。
でもこれが現実。

なんども悔しい思いをした。
一度試験は落ちたが再受験し、取得することができた。
資格試験にことごとく惨敗していたのでとても自信になった。
悔しい思いをした分、嬉しかった。

見ないふりをされても悲しくない。肩書きのない私のほうが数百倍悲しい

勉強中に知ったことだが、身近な人には「キャリアカウンセリング」をすることができなかった。そこでママ友を集めて「お話の聞き方講座」を開催することにした。
キャリアコンサルタント勉強中に、この世の中に共感を感じられるところが少ないと思ったことが、この講座をやろうと思ったきっかけだ。
第1回目モニター募集をかけたところ、枠はすぐに埋めることができた。
幅広く意見を募りたいので様々なグループLINEに同じ文章を送ったが、反応はなかった。

「わからないもの」は「わかる枠に嵌めたい」。それでも「わからないもの」は「見ないふり」をする。
実際LINEだけでなく対面でも「見ないふり」をされるようになった。
これがまた、不思議なくらい悲しくない。
別に強がりではない。
だって「肩書きのない私」のほうが数倍、いや数百倍悲しいから。
ここでママ友の顔色をうかがって辞めてしまっては、また「肩書のない私」にもどってしまう。
「肩書き」がないということは「名刺」がないということ、それは「名がない」ということなのだ。
名がないということはその場にいないと同じこと。
いつだって名前のないものに発言権はないのだ。
それが先進国の日本であっても。

やっとできた私の「肩書き」。諦める気はない。
かつて「PTAの活動をしたところでパパの名前が残るだけ」。そう言った母。
母も「わきまえている女」であることを強要されていた。
今、「わきまえている女」から少しずつはみ出し始めた私は「わきまえない女」になりつつある。
そのことをとても喜ばしく思う。