身の丈に合わないものはいらない、と正直に言えた19歳のころ
19歳の春、彼氏候補の男性が言った。
「あおちゃん、大きなダイヤモンドが付いたネックレス、買ってあげようか」
わたしは数秒間考えた後、首を横に振った。
「いらない」
「どうして?」
その人は面食らったような顔で、身を乗り出した。
「だって、わたしには似合わないと思うから。いらない」
「ダイヤが要らないなんて言う女性を初めて見たよ」
その人は少し困ったように、後頭部を触っている。
わたしが黙っているとその人は、
「そっか、わかったよ」
と言って優しく微笑んだ。
あの頃のわたしは、自分に正直に生きていた。大きなダイヤモンドのネックレスが、身の丈に合っていないと分かっていた。
ハイブランドの商品だから欲しい、なんて考えもなかった。
お金や高級なモノなんかより、友達と楽しく生きているだけで良いと思っていた。
度々そういったプレゼントの申し出をしてくれるその男性とも、結局お付き合いをしなかった。
お金持ちアピールをされているようで、どうも好きになれなかったのだ。
貰っておけば良かった、と思う今の自分も、ある意味正直に生きている
大人になった今、楽しく生きる為にはある程度のお金が必要、という事を痛感したわたしは、こう考える。ダイヤモンドなんて貰っておいて、要らなかったら売れば良いだけなのに。
貰えるものは貰っておけば良い、お金は沢山あったって困るものではない。
綺麗事なんて言っていられないわ。
今のわたしを見たら、あの頃のわたしはどう思うだろうか……。
欲深い女だと、ガッカリされてしまうだろうか。
社会人になり、働いてお金を稼ぐようになったわたしは、お金の尊さを知った。
認めよう。わたしはお金が大好きだ!
そう開き直ると、今だって自分に正直に生きていると言えるかもしれない。
それだけではない。お金を稼ぐ事で、与える喜びも知った。
社会人1年目のボーナスで買った祖父への帽子、祖母へのマフラー。
正直、少しムリをして良い品物をプレゼントした。
それでも、会う度にその話をしてくれる祖父母のほころぶ顔を見ると、もっと頑張って稼いで、もっと良い暮らしをさせてあげたい!と、活力がみなぎってくるのだ。
またある時は、貧困や災害で苦しむ人々へ寄付するために、沢山稼ぎたいとも思う。
昔も今も、本気で世界平和を願うこの気持ちに変わりはないが、わたしが寄付できる金額は、少し変わった。
それもこれも、働いてお金を稼いでいるからだ。
お金の必要性を学んだ私。でも忘れていないあの気持ち
19歳のわたしに、胸を張って言える。
「ちゃんと忘れてないよ、その気持ち」と。
ガッカリされるような大人になったのではないと思う。
お金に無頓着だったあの頃のわたしよりも、ちょっとだけ苦労して、ちょっとだけお金の必要性を学んだのだ。
そして、これからお金をいつ、どうやって、誰に使うか。
その判断を下す時には、知恵をつけた今のわたしだけではなくて、パッションで生きていたあの頃のわたしにも、時々心の中で問いたい。
「この使い方って、わたしの身の丈に合ってる?」と。
きっともう一人のわたしは、ティーンエイジャーらしい言葉遣いで、一刀両断してくれるはずだ。