「潔癖症なの?」「もっと遊びなよ」「お嬢様なんだね」
私に向けられてきた言葉の数々。いくら振り払っても、忘れようとしてもうっすらと傷跡が残る事を彼らは知らない。
24歳、大手企業の専門職のOL。マッチングアプリは19歳からやっている。新規登録すればすぐに上位1%になる、いわゆる「トップランカー」だ。

1回の「大人」なデートでは欲情しない。私はあなた自身を知りたい

小さい頃から平均よりも努力してきた。成績も運動もトップ。ファッション、流行、整形なんでも極めた。
私は絶世の美女ではない。だから努力するしかなかった。認められたかった。愛されたかった。
築き上げてきた実績による「自信」はあるが、セックスの経験が乏しいことへの「不安」が大きい。いい子を演じてきたため、貞操観念もものすごく高い。

自分の女性性を受容できないのかと不安に思うこともある。気づけばみんなは、マックで飲み物を飲んで喋ったり、公園を散歩したりするデートを敬遠するようになった。
いわゆる大人のデート。シックな洋服で薄暗がりのダイナーに入店、ワインでほろ酔いになり、セックスをする。ワンナイトや知り合ってから日の浅いままするセックス、いわゆる燃え上がるような欲情、甘美な夜。
だけど私はこれができない。もっとあなた自身を知らないと欲情しない。選り好みはよくないと思い、ワンナイトにもチャレンジしてみた。結果は、男性だけ先に果てて終了。向いてないと思った。

私の「性論」。お互いの意志が尊重されるセックスを追及すること

セックスができない訳ではない。むしろ得意だ。お得意の向上心が発揮され、セックスに関する本からAV男優のYouTubeまで履修している。つまるところ、セックスが「できない」のではなく、「しない」のだ。
何故なら、私の「性論」は、心の繋がりがある状態でお互いの快楽の頂点を目指すことだから。私はあなたを愛している、あなたも私を愛している、お互いが強いリスペクトを抱き、相互理解への意志がある状態でのセックスが最高だと思っている。

ただ肉体の快楽を追求するスポーツセックスは好きではない。相互オナニーになってしまうし、女性は回数を重ねるほど相手に好意を抱くようにプログラミングされている。私はこの負け戦になるかもしれないセックスに興じるのが怖いのだ。
現に、「沼恋愛」という言葉が流行っている理由はこの背景も影響していると思う。私は、愛のあるセックスしか勝たん!というスタンスだ。

欲望をわきまえない令和版乙女の性論

この性論を主張すると、周囲は意味ありげに笑う。達観していると面白がる。
お高くとまっている?モテない女?可愛げがない?わきまえない女?あなた達にとってはそうかもね。周囲と比べて一時不安もよぎるけれど、私はこれからも自分の「性論」を信じて貫く。最近の男性は「自立している女性がいい」「意見を言ってほしい」と言う。でも結局は、自分の庇護欲・支配欲を煽るようなあざと可愛い女性がお好きなんでしょう?

マッチングアプリでインスタントセックスに興じる男女。その世界観もとっても素敵。でも私が欲しいステージは違う。
私と張り合う覚悟がある殿方だけ、同じステージにあげるわ。
上から目線?いいえ。欲望をわきまえない素直な乙女よ。