人を頼ることは、恥ずかしい行為だと思っていた。
自分の弱みを他人に見せるなんて、とんでもないと思っていた。
自分さえ我慢すれば、全ては丸く収まるのだと思っていた。
自分自身の力で、どうにかできると信じ込んでいた。
「助けて」なんて言えなかった。

でもある時、自分の中で「プチン」と何かが弾け飛んで、何も考えることができなくなった。どうしようもないくらいの虚無感と沈黙だけが自分にまとわりついているような感覚。ここが地獄の底なんじゃないかと思うぐらいに、冷たかった。
でも、そんな私を気遣って、電話してくれた人がいた。
その時に気が付いた。私は「誰かに頼ってもいいのだ」と。
これから私の書く経験が誰かの心に届いたのなら、これ以上嬉しいことはきっとないだろう。

受験のプレッシャーに押され、心の中で何かが崩れていく気がした

高校三年生。あの頃の私は、切羽詰まっていたのだと思う。大学受験という大きな競争に勝つために、毎日毎日勉強をした。
国語、日本史、英語、小論文……。来る日も来る日も同じことの繰り返し。参考書は使いすぎてボロボロになっていた。

「第一志望の大学まで、これだけ偏差値が足りてない」
「受験はクラス全員で乗り越えるものだ」
「このままだと受からないかもしれないぞ」
と、何度このセリフを聞いたことか。

そのたびに、心の中で何かが崩れていくような気がした。でも、「私は大丈夫だ」とずっと思っていた。
だって、「私だけ」じゃなく「みんなも同じ気持ち」だと信じ込んでいたから。これがもしかしたら文化的暴力に飲まれた人間の心情だったのかもしれない。

思うように成績が上がらないのは自分のせい。だから、もっと努力すれば、回避する方法が見つかるはずだ。勉強しなくちゃ……。

この時、心の中は焦る一方で、自分のことについてまともに考える時間なんてなかった。とにかく「頑張らないといけない」という気持ちが強すぎたのかもしれない。
「英語の文法を暗記しろ」「文章に書いてある事だけを読み取るんだ」「年号はできるだけ覚えろ」「感情的になるな」「合格するためだ」と、一種の洗脳のようなことを吹き込まれた。
暗記することは私にとって、苦痛でしかなかった。ただ単に機械的に覚える事は得意ではないし、好きでもない。

私は国語の文章を読んだら、その意見に対する自分の考えを言いたくなる。
日本史を学んだら、歴史を通じて私たちが何を考えるべきなのかをまとめたくなる。
英語の長文を読んだら、分かりやすいように訳してみたくなる。
でも、そういったことは受験には「役に立たない」のだ。
だから言われることはただ一つ。

「自分の考えを捨てて、やるべきことをやれ」

このような状況に追い込まれて、本領発揮できる人間が果たしているだろうか。
もしかしたらいるのかもしれない。でも、私の心はそんなに強くはなかった。

受験本番の前に疲れ果て、どうでもよくなってしまった

日が経つにつれて、自分の中で何かが変わっていく。プラスの方ではなく、マイナスの方に。自分の何かが削られていく。自分が自分ではなくなるかのように。
こんなことを繰り返していた私は、受験本番になる前に、精神が疲れ果ててしまった。
両親は、私に第一志望の大学に合格するよう言ってくる。
「頑張らないと受からないよ?」と。
…これは励ましの言葉なのか?
それとも、私の勉強時間が足りてないから合格は難しいという単なる嫌味なのか?
親は励ましてくれているはずなのに、「嫌味だ」と思ってしまう自分もいて、頭の中が煩わしかった。
そして受験日が近づくにつれて、私の心は擦り切れていった。

結果は案の定、失敗に終わった。
落ちた理由は分かっている。もうどうでもよくなってしまったのだ。学校からの圧力も、親からの期待も、どうでもいい。
いっそ解放されて楽になりたいと思った。
私はありのままの自分を見てほしかった。そして、褒められたかった。
でも、返ってきたのはこの言葉。

「あんたのやってきたことは、全て無駄だった」

先輩に「私、もうだめかもしれないです」とメールを送った

無駄だったのだ。努力したことは全部、水の泡。
この言葉に押しつぶされそうになった時に、一つ年上の先輩にメールを送った。
「私、もうだめかもしれないです」

なんであの人に送ったのかは分からない。同情してほしかったわけでもない。ただ、藁をもすがる思いで、メールを送った。
勉強についてのアドバイスをもらったことがある先輩だったが、メールの返信は一週間に一回程度。でもその時に限って、すぐに返信がきた。

「大丈夫?何かあったの?」

私はその後、自分が第一志望の大学に落ちたこと、「今までやってきたことが全て無駄だ」と言われてたこと、これから先が見えないことを先輩に話した。
すると、いきなり電話がかかってきた。先輩からだ。
恐る恐る電話に出るが、言葉が出てこない。先に声をかけてくれたのは先輩だった。
「無駄なんかじゃないよ。よく頑張ったね」

この言葉を聞いた瞬間、涙が止まらなかった。嗚咽も止まらず、鼻水のすする音は先輩に筒抜けの状態。でも、羞恥心を感じることもなかった。その後、先輩と三時間話した。夜中なのに。

先輩は真摯に話を聞いてくれた。鼻が詰まってまともな話ができる状態ではない私に「ゆっくりでいいから」と言って、ずっと話を聞いてくれた。そして、最後に「頼ってくれてありがとう」と言ってくれた。

お礼を言うのはこっちの方ですよ、先輩。
先輩のおかげで私がどんなに救われたか。
先輩に頼らなかったら、私は今でもどん底にいましたよ。
話を聞いてくれてありがとう。

頼ることは、決して悪いことではない。もしあなたが何かに悩んでいたら、迷わず誰かを頼ってほしい。そして、今度はあなたが人から頼られる側になればいい。
頼ることは恥ずかしいことじゃない。つらいと感じることがあったなら、人に話そう。
自分らしく生きるために。