恋愛から話題を逸らすため、髪を切った理由はヘアドネーションに
「え!!髪切ったんだ!すごい短くなったね。」
それに続く言葉は「失恋?ふったんでしょ?」
みな揃いも揃ってそう聞いてくる。
彼のことを思い出してしまう気持ちを振り切りたかったのも理由のひとつだけれど、代わりに伝える理由は「ヘアドネーションしたの。」
ヘアドネーションとは、医療用のウィッグを必要とする子供たちのために髪を寄付することで、わたしは3年ほどかけて伸ばした40cmの髪の毛を寄付した。そう言うとみな納得して、恋愛事情から話を逸らせることをわたしは知っていた。
美容室でヘアドネーション用に切ってもらった髪は自分で団体に送付する。自宅で送付用の封筒の準備をしていると不思議な気持ちがした。
この髪はついさっきまでわたしと言う"人"だったけれど、切り取られた途端にわたしの髪だった"物"になった。
でもこの髪はわたしが"人"して生きた証であり、わたしの3年間そのものだった。
わたしと一緒に歩んだ髪。わたしの歴史。
彼との思い出を共にしたわたしの髪。さようなら、今までありがとう
カラーもパーマもしなかった黒く艶やかなわたしの髪。
彼と初めて食事をした日にさらさらだね、と褒められたのが嬉しくてその日から高いシャンプーを使い始めたわたしの髪。
せっかく巻いてもすぐにゆるくなってしまうけど、彼はかわいいねと言ってくれたわたしの髪。
ドライヤーに10分以上かかるので「早くきてよ~」とベットから呼ぶ彼に急かされながら乾かしていたわたしの髪。
「ヘアドネーションっていう髪を寄付するのやってみようと思うんだよね。」と言ったら「色んなこと考えてて偉いね。」と考え方を褒めてもらえたわたしの髪。
「ショートカットもかわいいかもね。でもこの長い髪も綺麗だな。」と彼が言うのでいつ切るか悩んでいたわたしの髪。
「今日どうするの?」「ごめん、今日仕事になっちゃった。忙しくて連絡し忘れてた。」コロナウイルスが流行した年のクリスマスに看護師の彼はとても忙しくて、そんなことは分かっていたけれど期待してお手入れされたわたしの髪。
彼が返事を返さなくなったり、会わない日が増えて、褒められることが減ったわたしの髪。
わたしの「今までありがとう」に「今までごめんね」と彼は言い、何に謝っているのか、そんな話し合いももう出来なくなっていて、彼のためのかわいいわたしを演出する必要がなくなったわたしの髪。
自分で決めたことなのに苦しくて、流した涙をたくさん吸い込んだわたしの髪。
美容室の鏡の前に座る不安げなわたしと「この長さまでとても綺麗に伸ばしましたね」と褒められたわたしの髪。
完成です!と言われて鏡を覗き込む自分に他のお客さんが「女優さんみたいね」と言ってくれた新しいわたしの髪。
付き合っている間、綺麗だね、と彼がたくさん撫でてくれた今までのわたしの髪。
さようなら。今までありがとう。
長い髪も好きだったけど、ショートカットになったわたしもいいじゃん
封筒に入れてかたく糊付けした。
郵便局への道すがらお店の窓に映るショートカットのわたしは凛として歩いている。
たくさん褒めてもらったわたしの髪はこれから誰かのもとに渡って、その誰かが褒められるために活かされる。
わたしは今、誰かに褒めてもらわなくても自分のことを美しいと認められる。褒めてもらえたらもっと嬉しいけれど、自分でもできる。大丈夫。
今までのドライヤーの時間をスキンケアに使えるからもっと綺麗になれるし、首がよく見えるからネックレスも似合うし、イヤリングも映えるからおしゃれがより楽しめるようになったし。
なんだ、悩む必要なんてなかった。
長い髪も好きだったけど、今のわたしもいいじゃん。
「あなたのことは好き。でもわたしにはもう必要ない。」
そう思えたらわたしは今も美しい。
どんな姿形であっても、どんな選択をしても、自分のことを愛せるわたしはずっと美しい。
わたしはこの短い髪で今日ここからまた生きていく。だって、わたしは何も失っていない。ただ手放しただけだから。