私は太りにくい体質だ。食べても食べても体の栄養分になれず、太れない。
体型について言われる度に、私はこれっぽっちも自分の体型を好きではないので、謙遜するでもなく自分の体質のことを話す。女性からは大概「羨ましい」と返答が返ってくる。
体重を増やしたいがために、カロリーの高いピザやハンバーグ、その他もろもろのジャンクフードを胃液がこみ上げそうになるほど食べて、次第に頭と体が重くなっていき、ぼーっとしながら手足を無理に動かしていた時期もあった。心と身体だけがぼろぼろになって、それでも平均体重にすら辿り着かなかったことに絶望した。
これを聞いてもまだ「羨ましい」と思うだろうか。
痩せすぎた私は「ちょうどいい」と言われていたが、やがて心身を壊した
いつまで経っても、日本の美の概念は「細さ」=「美しい」になっている。テレビを付ければ異様なほどに細い女優、モデルが美の象徴かのように祭り上げられている。
彼女たちは事務所や周囲の人間から常に厳しい体重管理をされ、太ることはいわば自分の商品としての価値が下がることに直結する。
中学生の頃、演劇に携わる事務所に所属していた頃は、マネージャーやスタッフからの体型、容姿に対する罵詈雑言をよく耳にした。当時同じ事務所に所属していた知人は、マネージャーに会うなり「可愛くない」「ブス」などの暴言を一通り吐かれた後、「あと1か月以内に10キロ瘦せなければ事務所をクビにする」と宣告されていた。
当時は周囲の異様な痩せ信仰を 疑問に感じることすらなくそうでなければメディアに出ることも、オーディションを受けることすら叶わなかった、むしろ太っていることは「悪」なのだと洗脳されていた。
当時私は20キロ台まで更に体重が落ち、その影響も相まって自律神経失調症にもかかっていたが、周囲の大人たちからは「このくらいが丁度良いよね」と言われていた。
ついに心身ともに限界が訪れ事務所を退所してからも、体型や容姿に対する批評は絶えることがなかった。
痩せたくて痩せているのでもない。知らない人からの心ない言葉
その後接客のアルバイトを始めた時も、お客さんから「細いけど顔が残念だよね」と心無い言葉を投げかけられたこともあった。見ず知らずの人から「細すぎると妊娠した時に生まれてくる赤ちゃんに障害ができるのよ。もう少し太りなさい」と言われた時は、本当に苦しくて涙が出そうになるのを堪えた。
私だって痩せたくて痩せてるわけじゃない。どうして体型を一つに括ろうとするのだろう。
「痩せられない」こともあれば、「太れない」ことだってあると思う。
太っていれば「食べすぎだ」と言われ、痩せていれば「痩せているけど顔が可愛くない」と言われる。それでは何も成す術がない。もう「見た目」について何か言われるのはこりごりだ。
ブスとか、可愛くないとか、もうやめにしませんか。もちろん自分に対しても。
その言葉にどれだけの人が傷ついてきたのか想像してみてほしい。
「美形」ではあっても、他人をあざけり笑う人は「美人」なのだろうか
本当の美しさは「見た目」で図れるものでは決してないと、綺麗ごとなんかじゃなく私は心からそう思っている。
顔立ちや身体そのものが醜い人など誰一人として存在しない。それは他人が勝手にそう結論付けているだけに過ぎない。いくら顔立ちや容姿が世間で言われる美の定型に当てはまっていた人がいたとしても、日ごろから自分の容姿を常に誰かと比べ心の中で優劣を付け、「醜い」と嘲り笑っていたら、それは「美人」ではなく、「美形」なだけだと思う。
どんなに外面的に形を整えていたとしても、内から溢れ出すものは誤魔化しようがない。だからといって日ごろのスキンケアや運動を怠る訳ではなく、少しでも「あの子って可愛くないよね」から始まる陰口を減らすだけでもきっと何か変わっていくはず。
人を蔑んでいる時の自分を鏡に映しだしてみませんか。
そこにはどんな姿が映ってますか。
いつしか、自分を縛り付けている心の鎧が外せますように。