コスメが大好きな女子高生だった私は、今でもその熱が収まりそうにない

こんな女子高生だった人は多いのではないだろうか。
バイト代の使い道第一位は化粧品で、何に使うのか分からないブラシに憧れる。通学鞄の中でチークやアイシャドウが割れて天の川が出現したことは数知れない。カラコンが合わなくて眼が痛くなっても、外すという選択肢は永遠に浮かんでこない――。

結論、女子高生は化粧との心理的距離がかなり近い。恋しているようにずっと化粧品について考えている。
だって一目で違う私になれるし、おまけに目元や口元がキラキラしている。鏡を見る時間が増えるって、自分を好きになったようで嬉しい。

問題はここから。金銭的余裕ができてコスメと物理的距離が近くなった大きな女の子について。
私はどんなに年齢を重ねても、化粧品と心理的距離が離れるということがない。顔だけでは済まないUV対策グッズ、高校生では決して手を出せなかった憧れの高額基礎化粧品、アンチエイジング効果を期待できる医薬部外品……。まだまだこの熱は収まりそうにない。

しかし、「もう化粧なんて飽きちゃった。メイクにかけるその時間が惜しいと思わない?」こう語る女性には距離を感じる。どこか、「女の子」を卒業して、「女の子」を捨てない女性を未熟な存在として下に見ている感じがするのだ。
「まだそんなことやってるの?」と言わんばかりの雰囲気に居心地が悪くなってしまう。まるで、小学校に上がってもぬいぐるみと一緒に寝ていることがバレた時のような気まずさがある。
このメイクを通して自分に留め続ける女の子らしさは、いつか捨てなければならないのだろうか。

私の中の「女の子」を見つけてくれた、コスメのプレゼント

27歳の誕生日、2人の親友からアイシャドーをもらった。プレゼントを比較するなど失礼なことはしたくないのだが、この2つがびっくりするくらいテイストが違って考えさせられたのだ。

高校から10年以上の付き合いの彼女がくれたのは、ピンクのギラギラした色味がメインの海外風メイクにぴったりなもの。特別な夜につけたくなるような、見ているだけでワクワクする。
社会人になってから出会った彼女がくれたのは、控えめなブラウンがグラデーションで入った、日常使いにぴったりなもの。派手な色こそないものの、毎日の通勤が前向きになるような温かさがあった。

2人とも私を思ってセレクトしてくれたのが伝わるし、現にどちらも大切に使わせてもらっている。しかしここまで趣向が違うのが気になってしまい、もう一歩先の気持ちを尋ねずにはいられなかった。

高校の友だちは毎回綺麗に化粧をしており、彼女のふとした言葉や仕草から「女の子」が見え隠れするするのが堪らなく可愛らしい。「あなたの高校から消えないエネルギッシュな強さを、これからも前面に出してほしい」とのことだ。
もう一人の大人になってから出会った彼女は、買い物大好きで常に流行りのものを追いかける。可愛らしい顔立ちの顔が相まって、まさしくキラキラと輝く女子高生そのものだと思わずにいられない。
そんな彼女のコメントは「見た目がシックな大人なのに、話すと夢に溢れているのがあなたの魅力だから」。

化粧が私を励ましてくれる。マジカルパワーで今日も素敵にいたい

出会った時期も、共有している思い出も全く違う2人なのに、こんなにも私の中の「女の子」をサポートしてくれるのが嬉しい。それを大切にするべきだと言ってくれているようだ。

きっといつまでも「女の子」を卒業した大人な女性と話すと緊張してしまうだろうが、彼女たちが化粧に頼らずとも自分を好きでいる術を見つけたのであれば、それは全くもっておかしなことではない。
しかし、全員が卒業するか、そもそもするべきなのかどうかは別の話。
私は主観的にも客観的にもそのマジカルパワーを必要としているし、今日もゴールドのアイシャドーに励まされて力強く目線を真っ直ぐ向けている。
もし知らない誰かと目が合っても、ニコッと笑えるくらいの素敵な力ではないか。