貨幣経済の時代に生まれた私には、「お金」にまつわる悩み事がいっぱいだ。
私はお年玉はすぐに使わないタイプである。そして好物も一番最後まで取っておくタイプだ。
現在20代後半の私にとって、老後は不安だらけだ。年金は何歳から貰えるのか、ましてや受給自体出来るのかも分からない。これから結婚して子供を産むかも分からない。一生独り身で、介護や身の回りの面倒をみてくれる親類がいるかも分からない。
少し前に話題になった老後2千万円問題、いずれ訪れる老後のために今から備えておく必要がある。私の人生においてショートケーキのイチゴに値する老後がやってくるのかは分からないけれども。

恥ずかしながら、祖父母に会うと今でもお小遣いを貰うことがある

アラサーの私は恥ずかしながら、離れて暮らす祖父母に会うと今でもお小遣いを貰うことがある。
もちろん「給料貰っているから」と断りを入れるが、祖父母の前では「ノー」という選択肢はないのだ。社会人になっていながら情けないと思いながらも、いくつになってもお小遣いを貰うことは嬉しいものだ。

思い返せば子供の頃は、お小遣いをくれる祖父母に対して「自動お小遣いあげ機」ぐらいにしか思っていなかった。私は本当に本当に最低な孫であった。
大人になって働き出してからは、給料を貰うことはどれだけ大変なことかが分かった。そして少ない手取りから生活費や交際費、将来のための貯金をやりくりすることはなかなか厳しかった。
40年間働き続けた結果の年金から今まで孫へのお小遣いをくれたのだと思うと、祖父母には感謝の気持ちでいっぱいになった。

数年前に私は体調を崩し仕事を辞め、地元に戻ってきた。祖父母は田舎の生活では車が必要だろうと、車の購入資金を援助してくれると言い出した。私は「いい大人だし、申し訳ないなら大丈夫だ」と断ったが、「家族なのだから遠慮しなくて良い、困ったときはお互い様だから」と言ってくれた。
当時私は都会から田舎に帰ってきて心も身体もボロボロになっていた。祖父母の優しさがとても心に染みた。人前でましてや家族の前で泣くことなんてここ数年なかったのに、子供のようにオイオイ泣いてしまった。

お金の価値が分かった今だからこそ、祖父母の「愛」を感じられた

祖父母の普段から物を大事にしながら質素にしていた暮らしぶりを知っていたからこそ、目の前に出された大金にどれだけの想いが詰まっていたのかが分かった。考えてみたら私たち兄妹の他に孫がいないとはいえ、別世帯の外孫に対してこれだけの支援をしてくれることが単純にありがたかった。「お金」の価値が分かった今だからこそ、祖父母の「愛」を感じることができた。

だいぶ高齢になった祖父母に会える時間も残り少なくなってきた。
これからはできる限りの恩返しをしよう。買ってもらった車で買い物や通院の足になろう。子供の頃はお正月や誕生日などのお小遣いを貰えそうなタイミングにしか進んで遊びに行かなかったけど、時間を見つけて会いに行こうと思う。
花嫁姿とひ孫の顔も見せてあげたかったけど、それは間に合わなそうにはないかもしれない。