バレンタインの思い出、それは19歳の時、はじめてバレンタインの本当の意義を理解し、感謝の意を込めてNPO法人のメンバーに手作りのお菓子を渡したときのことである。

バレンタインとは普段の人間関係が明るみに出る、年に1度の行事

バレンタインとは、1年に1度の感謝の意を伝える儀式である。義理チョコという言葉があるが、これはあくまで恋愛感情がないという意味で、感謝の意を伝えるという意味は大いにこもっているだろう。
女子校ではどこの共学校よりも友チョコが盛んであるし、職員の先生方にも感謝の意を込めて渡している。渡している、はずである。

しかし、私はこの「感謝の意」というものが、18歳のときまではどういうものだか分からなかった。私は物心ついた頃には既に人間不信で、誰のことも信用することができなかった。

記憶にある最初のバレンタインは、小学校低学年のときに地元にある生協で、母の勧めで父親に安いハートのチョコを買ったのが始まりだった。そのときは親に感謝をするということが、どういうことなのか分からなかった。
それから成長するにつれて友チョコや本命チョコを渡す同級生が増えてきた。
本命チョコを渡すほど好きな男子はいない。これは特に問題はないが、男子の中にはこの時期になると私の女性性をバレンタインと絡めて侮辱してくる者もいた。
「あいつにチョコもらったらどうする、捨てる」などと言うものだから、私は他者に恋愛感情や感謝の意を伝える権利はないのだと思い込み、人間として当たり前の感情を抱くことができなくなっていった。

友チョコ交換は中学生になって盛んに行われるようになり、部活動内では私1人がハブかれた。それもあえて私の前で、私を除いたメンバーで友チョコ交換を堂々と楽しんでいた。これについては特に傷付くことはなく、人を排除することでしか自己肯定感を保つことのできない哀れな奴だと、それ以上のことは特に何も思わなかった。
このように、バレンタインとは普段の人間関係が明るみに出る年に1度の行事であり、周囲との関わりが希薄であった私にとってそれを再度認識する儀式であった。

チョコ云々よりも、平気で人を排除する者がいることが心苦しい

人間不信は高校生になっても変わらず、環境が変わっても周囲との関係は希薄なままであった。普段は関わりを持たないにもかかわらず、学校行事の際にのみ誘ってくることに不信感を覚え、「プライドのために利用するのはやめて欲しい」と周囲にはよく伝えていた。
思えば、これは中高生時代に周囲に最も放った言葉であったと思うが、やはりバレンタインというのは年に1度の交友関係を露わにするもので、私ともう1人クラスになじむことができていない女子生徒にのみチョコを渡さないという生徒が大半であった。

私は遅れたタイミングでくれた人にのみお返しをしていたのであるが、やはりチョコがもらえないことよりも、平気で人を排除する者がいることの方が心苦しかった。私の高校では感謝の意を込めて先生にチョコを渡す生徒が多数いたが、私は感謝の意よりもお返し目的で皆と同じタイミングでさっと渡していた。

課外活動のメンバーに感謝の気持ちを込めて、手作りお菓子を渡した

そんなこんなで私は大学生となり、課外活動で知り合った方と共に過ごすことが多くなった。NPO法人に所属し、被災地の子どもに学習支援ボランティアをしたり、有名人を招いて勉強会を開いたりと充実した日々を送っていた。
能力的にも人間的にもまだまだ未熟であることを思い知らされ、なにかを作り上げるときにはその都度周りに支えられながら活動していた。今まで何もかも1人で乗り越えてきた(そうする他なかったと言うのが正しいかもしれない)私であるが、「1人では何もできないのだ」ということを思い知らされるきっかけとなった日々であった。

その年、私は支えてくれた周囲のメンバーに感謝の意を込めて、手作りのお菓子を渡した。私は19歳にして、はじめてバレンタインの本当の意義を理解することができた。