お金は何よりも大切な私には、何が無駄遣いかわからなかった

世の中には、生きる事に直接には関係のない綺麗な物があふれている。
かわいらしく作られたお菓子やリラックスするためのキャンドルやアロマ、部屋を明るくしてくれる色とりどりのお花。
必要だけど不要な物。その線引きは何処にあるのだろう。

小さいころから、お金は大切で無駄使いしてはいけない物だと教えられてきた。
周囲の友達に比べて、特別に貧乏だったとか不遇だったという記憶はないけれど、事あるごとにそう言われた私にとって、お金は何よりも大切なものだった。
だから、誰かから必要だと言われた物以外には、ほとんど自分から望んだ物がなかった。ピアノや書道を習ってみたいという思いはあったけれど、大切なお金を使ってまでやりたい事ではなかったから。
私にとって、お金以上に大切な物は存在しなかったし、それしか知らなかった私には何が無駄遣いなのかいまいちわかっていなかった。

欲しいものか、お金か。選択肢が増え、お金と初めて向き合う

そんな考え方だった私が初めてお金と向き合ったのは、大学生になった時だった。
それまで、勉強と部活に打ち込んでいた私には、持ち物のほとんどに選択肢がなかった。みんなと同じ、制服にユニフォーム、部活指定のカバンだった。だから、欲しい物を選ぶという経験がほとんどなかった。
大学に行くために必要な物を買いに行ったそんな私は、その選択肢の多さに驚きを覚えた。一言にワンピースと言っても、プチプラの物からその数倍以上も値が張る物もある。そこでは、どこか遠い世界の話だと思っていたそれらの選択が、私に突き付けられていた。
お金が大切なら無条件にプチプラを選べば良いのだろうか?値の張る物には目を向ける価値すらないのだろうか?大学生の私は、盲目的にプチプラの方を選んでいた。

そして、そんな考え方に、疑問を持ったのは社会人になってからだ。
働くようになると大学生の時よりも自由になるお金が多くなる。でもその分、責任だったり期限だったりと負担に感じたり不安になる事も多くなる。そんな時、私を救ってくれる物はいつだって、生きる事に直接には関係のない綺麗な物とそれらを丁寧に選ぶ事だ。
ハードな日にはお気に入りの服を着る。頑張った充実感には美味しいケーキを食べる。それらはプチプラではない物もあるし、必要のない物も多い。でも、時間をかけて選んだ私のお気に入りなのだ。

幸せの基準は人それぞれで、高いから良い、安いと恥ずかしいではない

いつも食べるランチが500円だったら、500円でいつものランチよりも幸せになれる事。その基準はそれぞれで500円のランチの人もいれば10000円のエステの人もいるだろう。それでもどんな人にとっても、本当のお金の価値ってそういう事なのだと思う。
お金はそんな風に、異なる物の価値を比較するために大切なのだ。決して高いから良いとか、安いと恥ずかしいとか、社会と比較するための基準にするものではない。

お金が大切なことは変わらないけど、それはたくさんの物と交換できる物だからであって、お金がたくさんあっても欲しい物がないなら、きっと幸せじゃない。
だから、たくさん持っている人と比べるのではなく、そんな風に自分の中での価値を考えて、お金それ自体と交換できる幸せのバランスと取りながら、私のお気に入りと付き合っていきたい。