「ああ、今月の給与、9000円だよ」
という嘆きが、「〇件〇〇万円」とノルマの書かれたビラと、各々の名前の上に今月の契約数が張り付けられたオフィス内に響き、私の耳に届く。
今日は給料日で、上司の手から私たちの手に給与明細が渡される。9000円?いやまさかそんな。
当時私は生命保険会社の新卒の社会人1年目。そしてその嘆きの主は2、3年上の先輩であった。
「先輩。さっき叫んでいたのって……」
後ほど恐る恐る声を掛けてみた。先輩はあっけらかんとした顔で「ん?9000円ってこと、本当だよ」と給与明細をぱらりと見せてくれた。

そこには確かに9000円とあった。ゼロは確かに3つである。アルバイトやパートではなくてフルタイムの正社員であり、先輩に至っては土日も返上したり、定時を何時間も超えても残業している。それなのに確かにそこには9000円とあった。私は思わず目を疑った。
ゼロが一つ足りないのでは、いや、たとえそうでも勤務量に見合っていないと思う。
「いやあ、ノルマできてなかったし、仕方がないんだよ」
先輩はそう肩を落とした。
「2年目までは固定給があるからいいけれど、3年目超えたら完全にノルマに応じた給料に代わるから。忍足さんも早いうちにやめなね」

いくら努力をしても成果がすべて。契約が給料に反映される保険業界

そう、生命保険会社に限らず営業の仕事というのは、頑張りよりも成果が全てだった。
毎日残業しても、土日祝日返上して担当地域の営業に回ったとしても、結局ノルマが達成されなければ働いていなかったとして扱われ、当然大家である給料は雀の涙ほどしかでない。
2年目までは新人として扱われて10万円を切ることはなかったけれど、3年目を超すと新人ではなくなり、完全に何件の契約をとったかで給料が変わる。

けれどもそう簡単に保険なんて契約しない。もう入っていたり、付き合いのある会社があったりしている。目に見えない商品を売るというのは難しい。
化粧品なんかならば、塗って肌触りが良くなった云々で一つだけなら買うという人がいるかもしれないけれど、保険なんて月々数千円をずっと払っていくのだ。気軽な買い物とは言えない。
けれども契約がとれなければ給料は1万円を切る、だから残業をしても休みを返上して頑張るけれども、お客さんにはこちらの都合なんてお構いなしなのだ。
「もうほとんど入るつもりでいるよ」というお客さんがやっぱり断ってきたり、医療保険には審査というものがあり健康状態では契約したのにお断りせざるを得ないパターンもある。〇日までという〆切もある。

保険営業の世界はピンからキリまでで、大口契約をとれれば月収が100万を超えることもあるというが、現実は9000円の人がごろごろといた。
1か月9000円、家賃食費光熱費を払って食べて飲んで生きていくには足りなすぎる。先輩社員の多くや同期は、仕事帰りに深夜のカラオケ店やコンビニ、はたまたキャバクラやパブで働くなどしていた。

私は3年目になる前にやめてしまったが、それでもこの仕事の努力が実らない……つまり給料に反映されないという虚しさのようなものは痛感していた。
私の担当していた地域は高齢の人が多かった。子供が独立して「こっちで暮らそう」と言われているものの住み慣れた土地を離れたくない夫婦や、夫に先立たれて少女に戻ったみたいにカルチャースクールに通うおばあちゃんが手押し車片手に行きかうようなところ。
長閑ではあった。けれども保険営業という狩りの場としてはふさわしくはなかった。
年配の人は保険には入れない。言い方がよろしくないけれど「獲物」にならないのだ。
先輩社員は「ここの町はしけってるからねえ。まあ孫の学資保険を狙っていけばいいんじゃない。お年寄りってお金持ってるよ」と舌なめずりをした。

私は営業のスキルはないものの、この地域の人に好かれてもらおう、頼られてもらおうと、担当地域のお客様に手書きでお手紙を書いたり、誕生日に自腹のノベルティを持っていったりした。怠け者のわりに努力はしていた。
「明日休みだけれどノルマできていない人は出社ね」と言われれば出社していたし、定時なんてお構いなし、ノルマができていない人は帰りづらい雰囲気、ノルマができていない子連れの先輩が保育園帰りの乳飲み子を保育園に一旦寄って連れてきて営業電話をかけている世界で、1日100件以上、ほとんど嫌がらせに近い……。ノルマを達成しなくてはならない一心で同じ家に朝昼夕電話と留守電を残して、やっと出てくれた暁には「あんた頭おかしいんじゃないの!」と怒鳴られるのを繰り返していたり。けれども努力はノルマに反映されず、そして給料も変わらなかった。

ノルマに追い詰められた私は、お金に恐怖感を抱くようになった

そしてもう時効だから綴ってしまうが、そんな職場から私が遠ざかるきっかけとなったのも金の一件だった。
「どうしても今日中にお金が工面できない」
新しく保険に加入してくれた知人はそう申し訳なさそうに連絡をしてきた。けれども今日中に振り込みをしてもらわなければ今月のノルマが達成出来ないのである。ノルマが出来ないといくら2年目以内で保障給はあるといえ悲惨な額だろう、そしてノルマが出来ないということはオフィスにも迷惑をかけてしまう。
「あ、じゃあ私が払っておく」
これは本来ならば違反だ。けれども私はノルマでこれ以上叱られたくない、ノルマが出来ないとクビになってしまうし、減っていく給料を見たくない一心でそう言っていた。追い詰められていたのだ。
それから「私が払う」という言葉が魔法の呪文になった。お金で渋っている友達らに契約を進めるときにそういえば契約がとれる、給料につながるのだから。よく考えたら金で金を作っているようなものだ。おかしい。

だが皆、契約のお礼として自腹を切って会社のノベルティなどを購入して契約者にプレゼントしていた。自分がしていることだってそれと大して変わらない、少しの痛手と思っていたが、1回きりのお礼と違って保険料は毎月来る。積み重なって給料と大して変わらない額を肩代わりしていた。そしてそれが苦しくなると当然ノルマもできなくなり、私はこのことを暴露、謝罪して退社した。

努力しても努力が給与として実らない、そしてお金は人を狂わせる……現に正常な判断が出来なくなってノルマの為に他人の保険にお金を払い続けて痛いほど知らされていたので、お金というものに対しての恐怖心すら抱いていた。

働いただけ給料が出る新しい職場に感激。努力が評価されることがうれしい

けれど、その恐怖心を解いたのもやはり金であった。
保険会社を辞めて新しく働き始めた職場で、きちんと働いた分だけの給料が出たのである、なんなら残業代も出たのだ。
それは本当に当然のことなのだが、私は感激してしまった。そしてそんな私を誰もが不憫に見ていた。

お金が好き、というとやらしい感じがしてよく思わない人もいるかもしれないが、私は努力が正当な評価を受けて、お金に変わるというのがとても好きになった。
私は自己肯定感が低いので「すごい」と褒められてもつい腹の内を疑ってしまうけれど、お金は正直に自分の価値が、努力が、評価が数字で出る気がする。

それは今やっている文筆業でも同じである。
私はまだまだ端くれの文筆家であるが、それでもたまに印税というものが入ってくる。まだまだ微々たるものである、それはまあ仕方がない、なんせ端くれなのだから。
ペン一本だけでは食っていけない額ではあるのだが、真っ当な、福利厚生のある仕事で9時から17時まで働いて得られる1か月の給料には及ばなくとも、私は憧れていた言葉を綴るという仕事で自分の紡いだ言葉に価値を見出してくれたことが、たとえ1円でも10円でもとても会社員の給料よりもずっとうれしいのだ。
1円だって足りなければ困るし、10円があれば駄菓子で腹を満たせるのだ。もちろんこれから先努力を積み重ねてペン一本では食ってはいきたいが、とにかく額ではなく認めてもらったということが嬉しいのかもしれない。

好きとは言えないただ苦しいだけの仕事……真夏日も真冬日も担当地域のインターホンをよろよろになりながら押す……努力を重ねていた頃にはもう戻りたくないけれど、あの頃がなければこんな気持ちは知らなかっただろう。