私にはとても愉快なお姉ちゃんがいる。続柄上おばさんであるが、おばさんにしては年が近くとてもお洒落で可愛いので、お姉ちゃんだ。
私はずっとずっと、彼女のような大人になりたいと思っている。成人式を終えた今でも。

あの時のお姉ちゃんと同じ年頃になって、改めて気づいた彼女の魅力

お姉ちゃんはいつも私たち兄弟の話にオーバーリアクションか、こちらが予測できない返答をして、私たち兄弟を楽しませてくれていた。
でもそれは決して子ども騙しのようなものではなく、たまに大人の用語も混じっていて意味がわからないこともあった。それでも私たちはお姉ちゃんの反応に爆笑していた。
子どもの頃はお姉ちゃんのことをギャグセンスが素晴らしいすごい人だと思っていたが、あの時のお姉ちゃんと同じ年頃になって改めてお姉ちゃんの魅力に気付かされた。
それはあの時、お姉ちゃんが子どもの私たちを子ども扱いしていなかったということだ。

お姉ちゃんとはたまにしか会う機会がないので、会う時はいつも「お久しぶりです」から始まる。

「お久しぶりです」
「また大きくなりましたね」
「何年生ですか?」

その会話は子ども寄りではあるが、でも大人にするような礼儀がちゃんとあって、会話のはじめはいつも緊張していた。それは「子どもだからといって容赦しない」みたいな怖いものではなく、家で習ったマナーを試すチャンスをくれたような温かな緊張感だった。

ほどよい緊張感からの、会わない間に起こった出来事を報告するターンに入った時は、私たちのエピソードひとつひとつに大袈裟に反応してくれるのだ。

子どもと大人の線引きをせず、一人の人間として接してくれる人

「ええ!?嘘でしょ!?」
「いいね〜、その遊び、私も一緒にしたいな〜!羨ましい!」
「すごいじゃん!かっこいいじゃ〜ん!」

それは「この年頃だからこの返答で」とかいうような加減は一切なく、全てがお姉ちゃんの言葉そのものだから、とても新鮮で面白くて、だからお姉ちゃんとしゃべるのはとても楽しかった。

お姉ちゃんの中にはきっと「子ども」と「大人」という線引きが存在しなかったのではないかと思う。それは、たとえ親戚の子どもであっても礼儀をもって接する心だった。
お姉ちゃんとの会話は敬語から始まっていた。ただしそこには親しみを充分に込めたまま。不必要に「子どもだから」という線引きはせずに、他の大人と対等に一人の人間として接してくれるお姉ちゃんだから、たまに意味のわからない大人の言葉が混じったジョークも飛び出す。

意味がわからなくてもそんなことは問題ではなくて、大人の世界を覗けたような、大人の仲間入りできたような、その特別感が子どもの私にとっては大切だったのかもしれない。子どもだった私は、その瞬間に特別な喜びを感じていたみたいだ。

「その年頃ならよくある話」と言わずに、その人自身を大切にしたい

私には歳の離れた兄弟がいるが、あの子は今、絶賛反抗期中である。何をしても塩対応だし、何を話しても「は?」で返すことが多いが、それでも私はめげずに礼儀を持って接したいなと思う。
「その年頃ならよくある話だね」なんて言わずに、あの子だけの感性や意見に耳を傾けて、それを大切にできるような姉でありたい。あの子の特別な反抗期を認めて、突き放されても良き距離を保って見守る所存である。

私には歳の近い兄弟もいるが、その子との関係は結構厄介である。考え方が大幅に違うため、私のユーモアが通じずコミュニケーションも円滑に進まない。私もお姉ちゃんのようなギャグセンスが欲しいところだ。いや、あの子ももう「大人」の部類に入ったからそういうことは求められていないのだろう。
「大人」と「大人」の良き距離感は未だ分からず。難しい問題だ。

私の目指す「愉快な大人」への道のりは長く険しいみたい。