私は小学校から大学まで、「学校に行きたくない」ばかり考えていた。

学校が嫌で「お腹が痛い」と仮病。大人になったら…と不安だった

いじめられていたとか、勉強が嫌だったわけではない。
仲の良い友達もいたし、むしろ勉強は得意なほうだった。

ただ、私は周りの人たちと比べて、人間関係を築くことが苦手だった。みんなで遊んでいる輪の中へ入っていくことには相当な勇気が必要だったし、クラスの中で浮かないように、取り残されないように必死だった。
同級生や先生の嫌な部分が目に付くと、そのときのマイナスな感情が私の頭から離れなかったことがあった。なんとなく教室の雰囲気が合わないな、息苦しいなと常々感じていた。
特に大きなトラブルがあったわけではなく、ただ「なんとなく嫌」だった。
みんな毎日楽しそうに学校に来ているから、こんなことで悩んでいるのは私だけなのだと感じていた。
仲の良い友達と過ごす時間や学校行事、部活など、学校生活は楽しいと思えることがほとんどだった。
それでも時々、些細なことで友達と意見が食い違ったり、先生に理不尽に怒られたりといったことがきっかけで、「なんとなく嫌」から「嫌」が溢れ出してしまうことがあった。

そんなときは「お腹が痛い」と仮病を使って学校を休んだ。
でも、仮病を使えるのは2日が限界。私はそうやって年に数日、仮病を使いながら「行きたくない」と戦い続けた。

みんな当たり前に学校に行っている。小学校と中学校は義務教育で、学校を辞めるなんて聞いたことがない。高校と大学でも、退学する人は知り合いにいなかったし、そんなことをしたら人生が台無しになると思っていた。第一、私の両親がそれを許してくれるはずもなかった。

「働くようになったら、嫌いな人とも関わらないといけないんだから」
そのようなことを両親からよく言われた。
私は一生、苦痛と戦い続けるのか。そう思うと、将来が不安で仕方がなかった。

いまは医療従事者。相変わらず「行きたくない」けど、昔より気楽

そんな私は今27歳となり、なんと医療従事者として働いて5年が経つ。
こんな私が、こんなにも人と関わる仕事をしているなんて。私の性格をよく知る幼なじみもびっくり、私もびっくりである。
上司や同僚も良い人たちに恵まれていると思うし、仕事の内容もそんなに苦痛ではない。
それでも、人間関係に対する苦痛は変わらず、やっぱり私は仕事にも「行きたくない」人間になってしまった。

できることなら仕事に行きたくない。それは誰だって思っているはずだ。
学校にも仕事にも「行きたくない」という思いが強い私だが、仕事をしている今のほうが、学生時代よりも気楽に過ごせている。その理由は2つある。

1つ目は、仕事での人間関係は割り切れるから。
学生時代みたいに、学校での人間関係がすべてではない。仕事での人間関係は仕事中だけ上手くやることに集中して、休みの日は学生時代からの仲の良い友達と会って息抜きをする。この息抜きに何度救われたか分からない。

2つ目の理由は、仕事はいつでも辞められるということ。本当に嫌になったら辞めるという選択肢がある。
良い顔をする人は少ないかもしれないが、仕事を辞めて転職しても人生には大きく影響しないはずだ。絶対に逃げ道のなかった学生時代と比較すれば、この「いつでも辞められる」という状況にあることで、私の心にゆとりが生まれている。

確かにやる気はないけど、表に出さず真面目に

こう書いてみると、かなりやる気なく働いている人のように見えるかもしれない。毎日仕事に行きたくないと思っているぐらいなので、確かにやる気はない。
ただ、それを表に出さないように真面目に仕事に取り組んでいる。本当に辞めたくなったとき、誰にも恨まれずに、気持ちよく辞められるようにするためだ。

これが、仕事とわたしの関係。私は毎日、それなりに気楽に過ごせているから安心して、と学生時代の自分に伝えてあげたくて仕方がない。