近頃、「子ども部屋おばさん」という言葉をよく耳にします。正確な定義は分かりませんが、簡単に説明すると“社会人になっても実家で生活をしている女性”を指すようで、昔からの子ども部屋で大人になっても生活していることに対して、皮肉を込めた言い方でしょう。
29歳にして実家暮らし。私がいても親は困らないと考えていたからです
斯く言う私も、29歳にして「子ども部屋おばさん」の一人です。なぜかって?大学も職場も実家から通うことができ、お金も順調に貯められる。なにより私が実家にいても親は困らないと考えていたからです。
一見すると身勝手に思われそうですが、10代後半から20代の間、この考えが自分の行動をずっと後押してきたように思います。
高校3年の終わり、第一志望の大学を諦めきれず、浪人することを親に頼みました。当時の受験結果は、私の偏差値からすると妥当なもので反対されると思いましたが、親は「やりたいことをやりなさい」と一言だけ。
そして1年後、努力した甲斐もあって、志望校には合格。
ところが、これは私の他にも感じた人がいたと思いますが、念願の大学生活は思ったほど特別な毎日ではありませんでした。入学時の高揚感や期待は消え、蹴った大学でも変わらなかったのではないかと思い始め、申し訳なさから親と顔を合わせ辛くなって、家に帰らない日が続きました。
親はそんな私を心配しましたが、もちろん話すことはできません。親の本当の気持ちを知ったら、ますます後悔の念に駆られそうだったから。
私の考えが、親の本音からあながち外れてはいないと確信しています
そんなとき、その頃流行り始めたTwitterで、こんな言葉が私の目に止まりました。
“ねぇ、もっとがむしゃらに自分勝手になりなさい。あんまり若いうちから、そんなに冷静でものわかりのいい人間になるのはおやめなさい。あなたが今よりちょっとやそっと自分勝手に、わがままにふるまったところで、あなた自身が思っているほどには誰も困らない。”(村山由佳「天使の卵」)
そのアカウントは、「ボット」というTwitterの機能を活用した自動発言システムで、本の名言を自動でツイートしているものでした。
当時の私は、この小説がどのような物語で、この文がどんな文脈で書かれているのか知りません。しかし、私の胸の中にあった、どす黒い鉛のような重い気持ちが、ふわっと軽くなるのを感じたことをよく憶えています。
その後、私は就職活動でも、最初の結果に納得できず、翌年もう一度挑戦しました。そしてそのときも、やはり親からは反対されませんでした。
これまで、親に本当の気持ちを聞いたことはありませんが、今でも浪人時代を懐かしげに話し、私の仕事を親戚に自慢する姿から、私の考えが親の本音からあながち外れたものではないと確信しています。
一人暮らしより婚活をして、親を安心させるべきかもしれませんが…
さて、来月30歳になる私ですが、また躓いたようで、年末に婚約者と別れてしまい、それをきっかけに「子ども部屋おばさん」から卒業することにしました。
年齢的にも、一人暮らしより婚活をして、親を安心させるべきかもしれませんが、もう少しだけ、わがままにふるまってみようと思ったのです。
ただし、あの頃と違って、“誰も困らない”というのは、親がどう思うかではなく、親に困らせないという意志であることを私は知っています。一人で生活することに不安もありますが、そろそろ己で己の落とし前をつける年頃でしょう。勇気を出して飛び出したいと思います。
ここまで読んでくださった方ならお気づきかと思いますが、どうやら私は人生のターニングポイントで躓きやすい人間です。思慮が浅いために努力が足らず、運が味方してくれるほど前世での徳も積んでいないようです。なので、この先もライフステージが変わるごとに躓くでしょう。
それでも、あのときふと目に止まったあの言葉が、受け取り方は変わっても、これからも自分の背中を押してくれる気がします。