一貫女子校出身にとって、バレンタインは「スポコン魂」

私にとってのバレンタインとは、教室中に立ち込めるチョコレートの香りの記憶である。
世のバレンタインは甘酸っぱい恋の味のようなのだが、私にとってのバレンタインは中学・高校と業者のように大量にチョコレート菓子を作り、梱包した「スポコン魂」溢れる思い出である。

私は、小中高一貫の女子校に通っていた。小学校ではさすがになかったが、中学生にもなると、誰ともなしにバレンタインはお世話になっている先生や先輩、仲の良い友人へ贈る儀式となった。
厳格な校則に縛られた学校だったので、日常生活ではもちろんお菓子の持ち込みなどもってのほかである。
ただし、バレンタインデーだけは“特別”だった。なぜか教室から溢れるほどのチョコレートの甘い香りが立ち込めているにも関わらず、誰一人として注意する先生はいなかった。注意すれば、チョコレートがもらえない未来が安易に想像がつくからである。

先生は先生で、人気度ランキングの指標になっていたのかもしれない。そう思うと今では微笑ましい。始業チャイムと共に入ってきた先生と、チョコレートが詰まったお菓子袋を抱えた姿で鉢合わせした子も黙認されていた事実は、もはや清々しいくらいである。

私はお菓子作りというものがなんとも苦手であり、苦痛以外の何物でもなかったのだが、もらう以上は返さないわけにもいかない。既製品を贈ると怒られるので、なんとか少しでも手を抜こうと研究や模索を繰り返した浅ましさである。
ただ、友人のひとりにお菓子作りがとても得意な友人がおり、彼女の眼はごまかせず、戦いだった。
市販のクッキーにチョコレートをかけてラッピングしていった暁には、渡して数秒でばれた。手作りから逃げるに逃げられず頑張って作った経験は、今でも思い出す女子校らしい思い出である。

既製品を貫いていたが、おうち時間にお菓子作り再開

なんとなく義務感でやっていたからか、一向にお菓子作りを楽しむ気持ちが生まれなかった。大学生・社会人になってからも、なんとなく洋菓子を作ることに苦手意識を拭えずに日々を過ごしていた。もちろん恋人ができてからも既製品を渡すことを貫いた。

そんな中のコロナ禍である。
休日はほぼ外出していた私にとって、自宅で過ごすことは思いのほか苦痛だった。今ではもう普通に外出の写真もあがっているが、初期の頃はみんなステイホームを楽しむ努力をしていたので、SNSを開いてユーザーの楽しみ方を参考にしていた。

そんな中、多くのユーザーのおうち時間の楽しみ方に、お菓子作りがあった。食いしん坊なので見ていると食べたくなるし、分かりやすく解説してくれている動画を観ると再現したくなる。私は、目を背けてきたお菓子作りと戦うことに腹を決めた。
それからというもの、パウンドケーキを焼いたりアップルパイを焼いたり、スコーンを焼いて自作のジャムで食べてみたり。オーブンから漏れ出す甘い香りに包まれて、不格好ながらも砂糖の量等を調整して自分の好みの味に近づける楽しさが段々とわかってきた。

好きな人に決死の覚悟で手作り。学生時代が良い思い出になっていた

バレンタイン。コロナ禍にも関わらず、百貨店のバレンタイン催事場は人で溢れかえっており、恐怖を感じた。私は、好きな人に手作りでお菓子を贈ることを決めた。三十路前に決死の覚悟である。
学生時代の思い出がちらつき、自分の腕にどうしても不安が拭えなかったため、材料は倍以上買い込み、バターも450gと大量に用意した。
よしっと気合いを入れて計量を忠実に、レシピどおりに黙々と仕上げていく。そして、ラッピングして箱詰め。学生時代を思い出した。

お菓子作りって本当は、好きな人に喜んでもらいたくて作るもの。「既製品の方が確実に美味しいことがわかるのに、なぜ手作りにこだわるのか」とよく口にしていた学生時代の私は、手作りの良さが全然分かっていなかった。

机の上には大量のお菓子が広がっている。大量に作ってしまう癖も、ラッピングやリボン、箱が大量にあるのも当時の名残り。学生時代の思い出は今もなお、私の中に残っていることに気づいた。バレンタインの思い出は、今では私の大切な思い出の一つだということにも。
あの時には気づけなかったけれども、大事なあの子に今では手作りのお菓子を頑張って贈りたいと思う。