いつか、村上春樹が言っていたという。
「大人になるというのは感受性をある程度奥の方にしっかり隠しておくこと」だと。「そうしないとこの世界を生き残っていけない」のだ、とも。

本当に小さなことで傷つき、悲しみ、涙する子どもたち

職業柄、毎日子どもと接していると(私は都内の小学校に勤務している)、この言葉がいかに真実を語っているか痛感させられる。
子どもというものは、注意深く見ていると、本当に、些細なことで――と言ったら彼らに失礼なのだけれど、それはもう本当に小さなことで――傷つき、悲しみ、こちらがあっ、と思った瞬間にはもう大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちている(わあわあ泣く場合も、もちろんある)。
そんな彼らと日々を過ごしていると、たしかに幼い頃の私も、さまざまなことについて深く悲しんでいたという事実を思い出す。

いちばん幼いころの思い出で言えば、たとえば朝学校に行くときに、母親と別れなければいけないのが本当に悲しかった。
あの言いようのない、心もとなさはなんだったのだろう。毎日ではなかったけれど、ときどきはがまんできずに涙がこぼれてしまい、仕事に行かなくてはいけない母を困らせた。
そんな時母は、自分のハンカチを「お守りに」にぎらせてくれた。でも、そのハンカチがよけいに悲しいのだ。
ハンカチは自分の手の中にあるのに、さっきまでそのハンカチで涙をふいてくれていた母はもういないのだという事実を、残酷なまでにはっきりさせたから。

たしかに、今、親しい人と別れるたびに(それがたとえいっときのことだとしても)あの胸の張り裂けるようなさびしさを感じていたら、かなりそれは精神的なダメージが大きいと思う。

夕暮れは道に迷ったよう。死を考えて悲しんだあの頃

夕暮れどきも、なぜだかみょうにさびしかった。
とりわけ少し長いお昼寝をしてしまい、起きた時には外がもう暗くなりはじめていたような時には。なんだか自分一人だけ昼と夜の間のすきまにおっこちてしまって、夜にとりのこされてしまったような気がしたものだ。
みんなはきちんと「夜」にたどりついているのに、自分だけその途中で道に迷ってしまったような。
両親のいる明かりのついた居間に急いで向かい、両親がそこでくつろぎながらテレビを観ていたりするのを確認すると、ひどく安堵したことを覚えている。
ああよかった、自分だけとりのこされていなかった、と思った。

死ぬことについてもよく考えた。そしてひっそりと悲しんでいた。
死ぬことについて考えるのは、たいていは夜眠ろうとしている時で、まずは両親がいなくなってしまうこと、そして自分がいつかこの世からいなくなることについて思いをめぐらせ、泣いていた。
そんな私に、母は言ったものだ。「ママは“ふじみ”だから大丈夫」と。
そう笑っていた母は結局、同級生のお母さんたちよりもずっと早くに天国に行ってしまったのだけれど。

平気になったのは「大人」だから?感じなくなるのも、さびしい

いつの間に、朝「いってきます」を言って家を出ることも、夕暮れどきも、自分や周りの人たちがいつか死ぬという事実についても、そこまで悲しまずにすむようになったのだろう。
これが、村上春樹の言う「感受性を奥の方に隠しておく」ということなのか。
だとしたら、私も「大人」というものに近づいているということなのか。
「大人」になるとは、ものごとに対して鈍感になるということなのか。

でも、だとしたら、私は「大人」なんかになりたくないと思う。だって、きっと私たちは、子どもの心を皆そのままもっていて、本当は子どもの時と同じように日々いろいろなことに悲しんだり傷ついたりしているのだ。
でも、それだと身が持たないから、まるでなんともないような顔をして、毎朝通勤電車に揺られているのだ、と私は思う。
私は自分の気持ちにふたをしたくないし、自分の心の痛みにも、人の心の痛みにも、鈍感にはなりたくない。

小さなことに悲しみを感じすぎるのは、つらい。でも、小さなことに対して何も感じなくなるのも、さびしい。
ああ、だから「鈍らせる」でなく「隠す」と言ったのか。自分の感受性を「守って」いけば良いのか。
うーむ。「大人」との距離感は、むずかしい。