内心は「ぼっち」が怖かった。でも大学に入ると当たり前だった

昔から一人が得意だと思っていた。
一人ライブ、一人映画館、一人カラオケ、全部オッケー。何かを決めるときは、友達と合わせるより自分の意思を尊重する。高校まで気が合う友達と出会えず、60%ぐらいの確率でご飯は一人。無理をして話が合わない友達と一緒に過ごすより、一人でいる方が気が楽。

だが、内心は一人でお弁当を食べている姿を見られるのが恥ずかしかったため、必死で隠していた。トイレでの便所飯、授業の合間の早弁、昼休みのイベントに参加で、ぼっちを回避し、一人じゃないですアピール。

ところが、大学に入ると食堂で過半数がぼっちで過ごしている姿を目にし、衝撃を受けた。大学では人それぞれ時間割、サークルの活動時間、バイト時間などが異なるので、一人が当たり前なのだ。
初めてお一人様を恥ずかしがらなくてもいいと思えた瞬間、私は一歩大人に近づいた。

「大人になる」とは、恥ずかしがらず一人飯ができること

このような経験から、私にとって『大人』になるとは、恥ずかしがらずに外で一人飯ができることだった。
高校生のときは塾の校舎を転々としていて色んな場所に行く機会があったにもかかわらず、一人でお店に入るのが怖くてお一人様外食ができなかった。ハードルが低い外食といえば、パン屋のイートインぐらい。

その後、高校2、3年生になってやっと一人で行けた外食店は、人の出入りが多く、比較的入りやすかった駅地下のカフェ。
今は閉店してしまって行くことができないが、オムレツと紅茶をよく頼んで、自習をしていた。紅茶そのものが好きというよりは、付いてくる砂糖がペルー産で特別感があり、気に入っていた。
また、テーブルに置いてある岩塩も、家では味わえないおしゃれな雰囲気を醸し出していた。塾での自習時間をサボって行きつけのカフェで過ごしてた学生時代、受験生時代が懐かしい。

次に見つけた行きつけは、お一人様専用の人気カフェ。
席が5席しかなく、いつも満員。席の後ろにはズラリと並べられた手塚治虫の漫画が置いてある。豊富なコーヒーと紅茶のラインアップ。かぼちゃの野菜タルト、ピクルス、コーヒーゼリーなど食べ物も高品質。
コロナ前から静寂を保つために会話禁止になっていたため、音に敏感な私にとっては快適な空間だった。

ここ数年でさらに一人飯がレベルアップすると、フレンチコースを一人で楽しめるようになった。ポイント利用でディナーコースが5000円から3000円に割引されたので、思い切って行ってみたのだ。
コロナ禍で客足が遠のいた広い店内で一人でぽつんと座り、黒トリュフのポタージュ、透き通ったエビのゼリー、牛ホホ肉の赤ワイン煮込みなど豪華なメニューを次々と平らげた。

いつしか「自分の時間と空間を保ちたい」という気持ちに変わった

一人飯を続けていくうちに、はっきりしたことがある。
恥ずかしがらずに外食できる大人になりたいという目的が、いつの間にか、一人の大人として、自分の時間と空間を保ちたいという気持ちに変わったのだ。

なぜならば家では自分の部屋がなく、いつ誰が入ってくるか分からない不安にびくびくしていたので、自分のテーブルが自分の領域となる外食に安心感を得ていたからだ。
他の人にとって外食とは娯楽かもしれないが、私は他者との境界線をはっきりさせるために外食ができる時間と空間を切望していた。

現在、私は7年間の葛藤を経て、自分の部屋、つまり、ようやく誰にも邪魔されない自分の空間を手に入れた。プライバシーを守るために、自分の空間だと家族に訴えることができて、また大人に近づいたと思う。
今は一人で美味しいお店に入って食事を楽しむことも、必要な時に自分の意見を主張することもできる。
大人になるって、素敵なステップアップだし、これからも自分の成長を書き残していきたいと思う。