『大人』は敵を作ってはいけない。
これは、私がチーフの肩書きを得て数年で、学んだことだ。
会議での大人ぶった私の言動が原因で、先輩や周りとの距離が広がった
ある日のチーフミーティングでのこと。
「それ、単純に休日数の問題ではありませんか?」
この発言が、人間関係に大ダメージを与えることになろうとは、この時の私は考えもしなかった。
某先輩社員が、新規の試みによって前月の利用者数が昨年同月の2割増となったと報告し、議論になっていた時だった。
私は気付いてしまったのだ。
「えっと、昨年同月の土日は4回しかないですよね。でも、今年はカレンダーの問題で5回。ですから、単純に利用者の総数で比較するなら、土日の回数が多かったことが、要因としては大きいのではないかと」
私の指摘はもっともだ、ということで受け入れられ、この議題はあっさり終わった。
ところが、そこからの日々、件の先輩からの敵視っぷりはすごかった。
まぁ、私が悪かったのだ。先輩を貶める意図は全くなかったとはいえ、もっと他の言い方や指摘するタイミングがあったのだろう。
そう反省しながら、「優秀な君にはこんな仕事、無駄に思えるでしょうけど」という盛大な嫌味とともに降ってくる理不尽な仕事や、胃が痛くなるような呼び出しに耐えた。
うちの支店に十数名いるチーフのうち、唯一の20代である私。周りが『大人』ばかりの中、『子ども』だと思われるのが嫌で、必死に背伸びをした。
しかし、会議の一件然り、背伸びして『大人』ぶった言動をすればするほど、周りとの距離が広がるばかりだと気付くのに、そう時間はかからなかった。
精一杯の「困りましたぁ」という顔。方針転換をした私の〆切の伝え方
私は、方針を転換することにした。
例えば、取りまとめを任された、書類の回収。こういう提出物では、〆切までに出さない人というのが、必ずと言って良いほど存在する。
以前は、「昨日が〆切なのですが、提出されていません」なんて言いに行っていた。だが、そんなことをすれば、相手から「この優等生ぶった小娘が」という(若干、被害妄想も入っているかもしれないが)無言の睨みを受けることになる。その上、周りの人からも「失敗を許さない人」「取り立て屋」なんて陰口を叩かれたりもして、たかが書類一つのために、大変な損失である。
最近の私は、一味違う。
まず、〆切翌朝、ターゲットを見つけると、ロックオン。ちょっと焦った感を演出しつつ、小走りに近づく。
「〇〇さん!私もすっかり忘れていて、お声掛けできなかったのですが、あの書類、明日までにまとめて送らなきゃいけないみたいなんですよ~。ほんっとうにごめんなさい!今日中にお願いできたりしませんか~?」
とんだ茶番だ。
もちろん、私は忘れてなどいないし、なんなら〆切前日には未提出者をリストアップして、ギリギリに出してくるのが誰か、出さなさそうなのが誰かを観察し、標的を見定めている。性格が悪いことは、百も承知。
ちなみに、ここで相手を責める顔をしては、絶対にいけない。口では下手に出ても、「態度が気に食わない」という反感を買う恐れがあるためだ。
精一杯の「困りましたぁ」という顔を作って、あくまで「助けてください!」と、捨ててきたはずの『子ども』っぽさを総動員する。
こんなぶりっ子、『大人』には通用しない?そうだろう、私もそう思っていた。
だがしかし、想像に反して、周りの反応はさほど悪くないのも事実。
たとえ陰で、ぶりっ子と呆れられようとも、書類の取りまとめごときで反感を買って仕事が進まなくなるよりは、マシなのだ。
薄気味悪い小芝居をしながら、『大人』だから粛々と業務を遂行する
薄気味悪い小芝居を打つ自分自身に、「うわ、よくやるわ」と鳥肌が立つような感覚は、拭えない。それでも『大人』だから、やるせない気持ちはどうあれ、粛々と業務を遂行するのみ。
だけどやっぱり、そんなことをせず、誠意をもってお仕事すべきじゃない?なんて思っている、まだまだ『子ども』な自分も、胸の奥には存在する。
あと10年経ったら、「あんな小賢しいことを考えた時期もあったね」なんて言って、もっと上手に『大人』の立ち振る舞いができるのだろうか。
願わくば、自分が『大人』になったら、背伸びした『子ども』も、子どもっぽいところのある『大人』も、全部受け入れられるようになりたい。
そんな、新たな思いを抱きながら、『大人』への階段を登っていく。