最近すぐお腹いっぱいになるな、と思ったのが最初だった。
2021年の6月、私は心を病んでしまった。食べる量がだんだん減っていき、空腹は感じるが食欲がないのが常態化していった。やがて夜も眠れなくなり、寝ても覚めても動悸と吐き気がひどいため、家から出られなくなった。大学の授業はほとんどオンラインだったが、対面の授業には出られなくなっていった。
病院でメンタルが原因と言われても、プライドのために受け入れられない
思えばその時点で精神的に参ってしまっていたのだが、当時の私はそんな自覚はまったくなく、むしろコロナ禍の大学生活にも慣れてきて上手くいっているとすら思っていた。
それでも吐き気をこらえて行っていたバイトにも行けなくなり、3日ほど眠れない日が続いたとき、初めてこれは病気かもしれないと考えた。近所の内科にかかると、医師は言いにくそうに「メンタルかもね」と言った。
受け入れられなかったのはプライドのせいだ。
私は高校の同級生の中で一番良い私立大学に入って、田舎の故郷のことなんて忘れて、都会で楽しく暮らしているのが誇りだった。地元に残った同級生を見下して、冴えなかった高校時代から逃げるように遊び歩いたのは、きっと大きな劣等感の裏返しだったのだろう。
女の子なのだから無理に実家を出ていくことはない、そう言ってくれた両親への反抗のつもりもあって、女だけど一人でも都会で楽しく暮らせるのが私の唯一のプライドだった。
心の病を一人でなんとかしようと決めた日に限って、母から電話が
だから頭が真っ白になった。身近に頼れる人間はいないし、友達や両親に頼ると「ほらやっぱり」と言われそうな気がした。なにより心を病んだ人間なんて、誰もがめんどくさがるに決まっている。知らない間に勝手に病んで頼ってこられたら誰でも迷惑だろう。
一人でなんとかしなくては。一人でなんとかできるようにならなくては。
そんな日に限って母から電話がかかってきた。後から知ったことだが、ゴールデンウイークに帰省した時点で母は私の異変に気がついていた。それで私を気にかけてこまめに連絡をくれていたのだ。
電話越しに母の声を聞いた瞬間、泣き出してしまった。しゃくりあげるほど泣くのは数年ぶりだった。
途切れ途切れに現状を話す私に母は戸惑いながらも、「帰っておいで」と言ってくれた。電車に乗れないなら車で迎えに行くから、学校なんてしばらく休めばいいから、とにかく帰っておいで。
今生きていられるのも、プライドを捨てて母に頼ることを選んだから
実家での療養は半年間に及んだ。
体調はすぐには良くならず、毎日寝ているか起きているか分からない状態で床に転がっていた。それでも両親は通院の手助けをしてくれたし、ろくに食べない私に少しでも栄養のあるものを食べさせてくれた。
成人しても親の手を煩わせている自分が情けなくて、何度もごめんごめんと謝った。その度に母は「目の届かないところで体調を崩していたら気が気じゃないから、それよりずっと良い」と言ってくれた。
2022年の1月、半年間の暗闇のような療養生活を経て、私は学校に復帰した。
なんとか休学はせずにオンライン授業で単位を埋めて、これはコロナ禍のおかげだと思ったりもした。今はご飯も食べられるし、夜もちゃんと眠れる。
今振り返ると、私は心を病んでいたし、両親に頼らず一人でいることを選んでいたら生きていなかったかもしれないとも思う。この半年間をバネに頑張れるのも、今生きていられるのも、あのときプライドを捨てて母に頼ることを選んだからだ。
意外と人は頼れば助けてくれるのかもしれない、今ではそう思える。