今でも心に残っている、小学校の担任の先生が言った「大人」とは
「大人」と「オトナ」。
「"大人"とは、"自立"していて"自律"できている人のことです」
……小学校の時の、怖い担任の先生に言われた言葉だ。
今でも、心に残っている。
12歳のあの頃、ちょうど「12歳のハローワーク」という本が話題になっていた。「将来何になりたいか」という漠然とした悩みを持たなければいけないような、そんな空気感。
本当のことを言うと、まだその前段階の「自分が何をするのが好きなのか」というところで、私は止まっていた。誰にも言えなかった。
ちょうどそんな時、道徳の時間で「大人とは何か」という話になり、冒頭の言葉を先生に言われた。
「自分で生活の基盤を維持し、自分のしたいことを制御してコントロールできる、それが大人です。みんなも将来大人になってください」
大人ってすごいなと思った。大学に行って就職すれば、ある程度の基盤は築けるかもしれない。でも、自分のしたいことが分かっていて、尚且つそれを我慢できる、そんな大人って、本当にすごいと思った。
自分も、ある程度のライフステージを踏めば、行く行くはそんな"大人"になれるんだ、と思った。
歌詞の15歳の君が自分みたい。大人は完璧じゃなくていいと思えた曲
そこから、3年後。15歳。
これまたちょうど、アンジェラ・アキさんの「手紙〜拝啓、十五の君へ」がヒットした年。
まだ「自分がしたいことって、なんだろう」という問に対する答えが見つかっておらず、少し焦りを感じていた時。この曲は、ターニングポイントになった。「まだ、無理に大人にならなくていいんだ」
そう思えた。
歌詞の中の"15歳の君"が、まるで自分みたいだった。"25歳の君"が応えてくれた、私からの問い。
迷っていることが、決して悪いことではない。問い続けることが大事。
迷っている自分を、まるで受けとめてくれているかのような歌詞。
そして、”25歳の君”も、迷いも掻きながら生きている、ということ。
その言葉を聞き、"大人"って、そんなに完璧じゃなくていいんだと思った。
ふと、肩の力が抜けた気がした。
15歳の私から届いた一通の手紙。当時の私に伝えたい「大丈夫だよ」の言葉
25歳の誕生日、私に一通の手紙が届いた。
差出人は、私。15歳の私。
開けてみるとそこには、15歳の私の心の声が、ありったけ綴られていた。
「この手紙を読んでいるあなたは、好きな生き方が出来ていますか?」
「正直言って、今のうちは、うちのことが嫌いです。」(うち=私)
「うちは、未来の自分像を想像すると、時々すごく怖くなります。」
覚えている。親と進路のことで喧嘩して自分の部屋で泣いたあの日、泣きながら書いた。
ところどころ、涙で滲んでいた。
「大丈夫だよ、今も今で大変なことは沢山あるけど、何だかんだ楽しく生きてる。がんばってくれてありがとう」
今、15の私に声がかけられるとしたら、こうやって声をかけてやりたい。
この10年、色んなことがあった。"オトナ"になる為のステップを少しずつ上がってきた。今の私があるのは、紛れもなく、過去の私のがんばりのおかげ。
昔、先生が言ってたように「自立した、自律できる大人」にはなれていないかも知れない。
けど。
自分のおかれた環境を生きて、自分の人生を楽しく生きている、"オトナ"にはなれている。
「大人」「オトナ」
似ていていて何だか違うこの言葉。
私は、後者を突き詰めていける人生の方が、何だか楽しそうな予感がしている。