私は大学4年生、学童アルバイトをしている。教育関係の学部でもないが、ただ将来、子供が出来た時のために子供とのかかわり方を予行演習したいと思って放課後の小学生を見守り支援する仕事に就いた。
これは傷つくのを恐れていた私が、子供たちや母のおかげで「愛する決意」ができるようになるまでの話である。
学童バイト。小学生にとっては知らない大人という存在であった私
学童バイトを始めた日のことは今でも鮮明に覚えている。
入口から手洗い場までの全力ダッシュ。放り投げられるランドセル。どこからともなく発せられる奇声。
カーニバルのごとくどんちゃん騒ぎで帰ってくる子供たちに、少し縮こまりながらもある程度元気に「おかえりなさい」「はじめまして」「こんにちは」と声をかけていく。
対する答えは3パターン。
- 無視、というか素通り
- 「お前誰?」もしくは「だーれ?新しい人?」
- あちらも知らない大人に緊張して小声で「こんにちは」
ちなみに最後のパターンは少数派で、初日にしてショックを受け、このクソガキが!!!!と心の中でなんども思った。
1カ月もすると子どもたちの「色」が見えてきた。落ち着きがなくて怒られてばかりの子、優しくて控えめな子、元気いっぱいに絡んでくれる子、そして反抗的な子。
ある日のこと、低学年の子に暴言を吐いている男の子に対して私は「なんでそんなことを言うの」と注意した。するとその男の子は笑ってさらに暴言がエスカレートしたので、「やめなさい、傷ついて泣いているでしょう」と言うと、男の子は私に向かって「うるせー、俺は大人が嫌いなんだよ」と吐き捨てた。
本気で関われば傷つくだけ。接し方に戸惑った私は逃げる選択をした
当時の私は、彼の裏の感情や大人への怒りに気づけず、ただ悪態をついているようにしか思わなかった。そして何より、「嫌い」という言葉を実際にあんなにまっすぐ言われるとずっしり、重くつらかった。
私はどう接していいのか分からなかった。これ以上本気で関わればもっと傷つくことになる。私は、逃げた。男の子が暴言を吐いていた低学年の子のところに行って、「ごめんね」と謝る事しかできなかった。
それからは子供に対してどんな距離感で接していいか分からず、思いっきり遊んであげるわけでもなく、注意するべき時に本気で向き合って叱れるわけでもなく、「やさしいお姉さん」を演じていた。ただ、「子どもたちから嫌われたくない」そう思って距離を取っていた。
私は子どもにとってどんな存在になりたいんだろう。ただ一緒に遊んで楽しい、そんな存在になるために私はこの仕事をしているの?
違う。母のような温かさと厳しさをもって子供と接したい。でも本気で叱ってわざわざ子供から嫌われたくない。やっぱりある程度の距離感を保ってるのが一番いい。そんな損得勘定を脳内でしてしまっていたのだ。
私の根性を変えてくれた母の言葉「まずあんたが子ども達を愛しなさい」
でもある日、そんな私の根性を私の母の言葉が変えてくれた。
「あんたねえ、子供に好かれたいんだったら、まずはあんたが子供たちを愛しなさい。叱るときにしか喋りかけなかったら、そりゃ子供も嫌でしょ。嫌われたくないとかそういうのは忘れて、しつこいくらいその子に大好きアピールしてみたら?『遊んで~』とか『元気ー?』って声かけたりさ」
聞けば当たり前のことなのに、それができていなかった。母にはかなわないと思った。私がどれだけ反抗的でもいつも私を愛をもって叱り、愛をもって褒めてくれた母だ。
私には足りなかった「自分から愛する気持ち」。その時思い出したのは、慣れずに緊張していた私に「一緒に遊ぼ!!」といってオセロを持ってくる子、「鬼やって!」と強制的に鬼ごっこに参加させる子、「これ〇〇ちゃん(私)の似顔絵」とたくさんの絵を描いてくれる子たちの屈託のない笑顔だった。
私は、私が気づかないうちに勝手に壁を作っていただけかもしれない。子供たちは最初から私のことを「見知らぬ大人」ではなく、「誰だろう」という思いで良く知ろうとしてくれていた。
今度は私がもっとみんなを知ろうとする番だ。
あの男の子のこと、まだ何も知ることができていないのに、距離なんて作ってしまった。彼を叱った時、私は彼の言い分を聞いてあげただろうか。彼は話を聞いて欲しかったのかもしれないのに。
だから私は恐れない。私からサッカーに誘ったり、話しかけたりするんだ。それで私が傷つくことがあっても、もっと大きな心で「それでも私は大好きだから、本気で叱るし、その分たくさん優しくする」そう言ってあげたい。
私は私として「愛する決意」を。そこには大人も子供もない
私はまだまだ未熟者だ。それでも「大人」なんてまだなってたまるか。私は、私として子供たちにたくさんの愛を届けたい。
親子、年の離れた兄弟、教師と生徒、学童の先生と子ども。どんな関係にも確かに距離はあってそれも大切だと思う。
でも私は子供たちにとって、親でも学校の先生でもない。だからこそ「教える立場」とかの上下の距離感のことは忘れて、安心できるお姉ちゃんみたいな存在になりたい。心からそう思う。
だから今日も笑って、時には叱ってその後はたくさん褒めて、そうやって子供たちと関係を築いていきたい。