幼稚園の頃。なぜかいつも、私にかまってくる男の子がいた。みんなから「よっちゃん」と呼ばれていたその子は、天然パーマでくるくるの髪に、眼鏡をしていて、今思えばお洒落な感じの、賢そうな男の子だった。いつもニコニコした目元は、目が悪いから裸眼の時は一層細くなり、おかめのお面のような、ほにゃ~んとした、可愛い目になるところが好きだったが、クラスメイトからは時々「気持ち悪い!」と言われていた。
ほっぺが重なるくらい近くに来て、「近すぎ!」と言われたよっちゃん
その原因は、彼の他人との距離感にあると4~5歳の子供ながらにして思っていた。コロナ禍において『ソーシャルディスタンス』が叫ばれる現在の子供たちでは怒られるかもしれないぐらい、ほっぺがくっつくぐらいの近い距離に来るので、「よっちゃん、近すぎ!」とクラスメイトに言われているのをよく目にしていた。遊びなどに集中しているとき、ついつい対象に近く寄って行ってしまうのは、子供でも大人でも同じだけれど、それ以外の時にも近いと感じるほどの距離感だった。
私が遊んでいるとき、友達と話しているとき、近くに来て話しかけてくる。内容は、幼稚園生の可愛いたわいのない話だったように思う。別に嫌なことをされたわけでも、なんでもないけれど、毎日のようにかまってくる時期があった。数回なら別に気にしないけれど、それが毎日、1日に何度もという頻度になる頃には、マイペースな私は、自分のペースを乱されることに我慢できなくなっていった。
記憶に残りうる、人生初の告白だったかもしれない。私はびっくりして
ある日、クラスで先生のところで、何かをする日があって(幼稚園の頃の出来事なので、詳細は覚えていない)、教室のドアの外にまで子供たちが1列になって自分の順番を待っていた。クラスのみんなが並ぶその列の真ん中あたりで、ドアの近くの、大きな木の積み木が並べてあるところに立っていると、私の横に例のよっちゃんが来た。相変わらず、距離が近い。よっちゃんは自分の番が終わったか、後ろの方で待っていたのか知らないけれど、とにかく私のすぐ側に来て、話し始めた。
その時私は、普段あまり話さないクラスメイトの間に並んでいたので、特に話さず無言で並んでいた。だからよっちゃんがどんどん近寄ってきて、ペラペラ喋っているのを聞いていると、突然「好き」と言われた。記憶に残りうる、人生初の告白だったかもしれない。当時4~5歳だった私は、びっくりして1センチぐらいの距離に迫ったよっちゃんを、両手で思い切り突き飛ばしてしまった。ガシャーン!と大きな音がして、友達が口をぽかんと開けて一部始終を見ていた。あわてて先生が見にくる。突き飛ばされたよっちゃんは、かわいそうに、積み木に後ろ向きで突っ込んで、眼鏡が吹っ飛び、倒れ込んだ。ちょっと離れて欲しくて押したら人1人分ぐらい離れると思ったけれど、幼稚園生の力でも漫画みたいに飛んでいって(子供からしたら結構な距離だと思ったけど、30cmぐらいだったのかも?)大きな積み木というアイテムも相まって、よっちゃんは大ダメージを受けた格闘ゲームのキャラクターのようだった。
好意を寄せられると引いてしまう私の性格は、ここで形成されたのかも
先生に起こされたよっちゃんと私は、先生から事情を聞かれ、子供ながらに上手く説明できたか分からないけれど、謝ってその場は終わった。そこからぱたりと、よっちゃんが構ってくることは無くなった。我ながら手を出すとは、ひどいことをしたなぁと改めて謝りたい。ごめんなさい。でも、人から好意を寄せられると引いてしまう私の性格はここで形成されたのかも?と今になって思う。ぐいぐい来られても大丈夫な人と、苦手になってしまう人がいる。カエル化現象?というのかな。好意を受けると、嫌になってしまうような現象や心理や、遺伝子的な運命的相性を私は信じてます。