「ごめんなさい」。天国に旅立ったおじいちゃんに伝えたいと思い、私が毎日胸に抱えていた言葉だ。

「じいじはみっちゃんの彼氏や」とおじいちゃんは私を肯定してくれた

今から11年前、私は反抗期真っ只中だった。私は2人姉妹の長女で、両親はいつも妹の味方をしているように見えた。追い打ちをかけるような、周囲の大人たちからの「お姉ちゃんなんやから」という言葉で、私の気持ちは常に抑え込まれていた。
長女になりたくてなったわけではない。心の中にどうしようもならないモヤモヤを抱えていた当時、1番近くに寄り添っていてくれたのがおじいちゃんだった。
おじいちゃんの家に遊びに行くと、おじいちゃんは「遊びに行こか」と言って私と妹を車に乗せて近くのショッピングモールに連れて行ってくれた。おじいちゃんとの外出は、唯一何も考えずに冷静になれる時間だった。
おじいちゃんはいつでも、どこでも、私たち姉妹を平等に接してくれた。私は、姉ではなく、おじいちゃんの孫としていられるその時間が好きだった。

反抗期が過ぎて、中学1年生になった私は、部活動で充実し、おじいちゃんの家に行かなくなった。それにも関わらず、雨の日には塾の送り迎えをしてくれたし、怪我をした時にはおじいちゃんが病院に連れて行ってくれた。事あるごとに私を迎えに来てくれた。
車の中では部活動の愚痴や、友達と遊んだ話、テストの点数自慢、なんでも話した。塾へ向かう車の中でおじいちゃんの横顔を見ながら、たこ焼きを頬張ったのも覚えている。
おじいちゃんは、私を無条件に肯定してくれた。私が車の中で何も話さない日にも「じいじは、みっちゃんの彼氏や!いつでも相談してや」と私の味方だということを言葉にしてくれていた。一緒にいる時間は短かったけど、おじいちゃんのおかげで毎日がとても心強かった。

私の心に寄り添ってくれた「おじいちゃん」は、癌だと診断された

高校1年生の頃、常に私の心に寄り添ってくれたおじいちゃんは、癌だと診断された。入院した時には、すっかり痩せてしまって、言葉も話せなくなっていた。
それなのに、ベッドに横たわるおじいちゃんは、椅子に座る私の手をずっと離さなかった。その時は「長生きしてね」と言うので精一杯だったけれど、数か月後、おじいちゃんが亡くなって心の中には伝えたい言葉があふれた。

死を受け止めることができず、いつしか、その言葉たちは生きている時に伝えられなかった後悔と共に、私の心の中に住み着いてしまった。
そのうち、本当に伝えたかった言葉が何か分からなくなり、心の中には「生きているうちに伝えられなくてごめんなさい」という罪悪感が生まれることもあった。

私は今年、大学3回生を迎える。大学では宗教学を中心に哲学や社会学等、様々な分野を勉強している。
大学での勉強を通して「過ぎたことは仕方がない」と強く思うようになった。大学の講義では、過ぎたことを事例に挙げ、いくつかの視点からアプローチをかける。そのおかげで、固定概念や1つの答えに捕らわれない思考を育めるようになった。
そんな私はおじいちゃんに伝えられなかった過去を昔ほど後悔しなくなった。もちろん「ごめんなさい」という気持ちも存在するが、「過ぎたことは仕方がない」のだ。

人の命に永遠はないけれど、きっとどこかでおじいちゃんは生きている

もし今おじいちゃんに会えたなら、「ありがとう」と伝えたい。
悩み多き思春期に私の気持ちを理解してくれてありがとう、どんな時も私の味方でいてくれてありがとう、私の手を握ってくれてありがとう、今では感謝の気持ちしか思い浮かばない。
人の命に永遠はないけれど、人間が証明することのできない世界でおじいちゃんは生きている。そう考えると私の心の中で行き場をなくした言葉たちは、いつの間にか感謝の言葉になった。きっとこれが本当に伝えたかった気持ちなのだろう。

おじいちゃんが支えてくれたおかげで、心の強い今の私がいる。これからは、おじいちゃんが私にくれた大きな愛を家族や友達に返していこうと思う。おじいちゃんみたいに誰かの支えになれる女性になろうと思う。
この気持ちが大好きなおじいちゃんに届くことを信じて、私はこれからもおじいちゃんが導いてくれた花道を歩んでいきたい。