2021年の秋、私は20歳の誕生日を迎えた。
大学の夏休みで、世間を賑わす新型コロナウイルスのワクチンを打つ為に帰省していた私は、いつの間にか成人していた。自室の趣味は中学生くらいのまま止まっていて、田舎の風景はあまりにもいつも通りなものだから、成人した感覚は全くなかった。ただ、「嗚呼、酒が飲めるな」と思ったくらいで。
助手席に座って、誰にも言うつもりもなかったわがままを父に話した
この日、私は誕生日プレゼントにスタバの新作が飲みたいと父にせがんで、ドライブに繰り出した。私も免許を持っているけれど、今日は助手席を陣取って父に話しかけることに徹していた。
スタバの甘いスパイスのきいた温いラテを啜りながら、過干渉な実家の祖母の行動に対する愚痴や東京に住む3つ上の兄とそりが合わないこと、いまやっている講義の内容まで事細かに話した。
父はいつものようにひとつひとつの話を真剣に話を聞いた後、長々と蘊蓄を垂れたりして、ちょっと面倒になるくらいに話を長引かせた。
でも、今日だけはありがたかった。私はどうしても、父に言いたいことがあったから。一通り話し終えてから、意を決してこう切り出した。
「私、自分の為に、わがままに生きてみたかったんだよね」
あくまでライトに、「この店、行ってみたかったんだよね」みたいなノリで。
20歳を迎えて親に言う言葉がそれか、と自分でも呆れるが、ずっと私が心に秘めてきた思いだった。
私は物語を考えるのが好きで、絵を描いたり小説を書いたりしていた。
最初はみんな褒めてくれていたけれど、いつの間にか褒められるのは学校の勉強に代わって、高校まで褒められたくて勉強を頑張った。大学受験の時は、高齢の祖母のことを案じた周りの大人たちに頼られる形で、比較的地元に近い大学を選んだ。
形は違えど、私は常に誰かの為に生きてきた。誰かの顔色を伺って、誰かの笑顔が見たくて。嫌々こうやっている訳ではなく、これは私の性質なのだと思う。
その証拠に、私は社会福祉に興味を持ち、それについて大学で学んでいる。それでも、私の心の中にも、自由に生きたいという思いがあるのも事実で。
「もう、大人になっちゃったから、無理だけど」
待てど暮らせど私は自由になれる気がしない。大人って、足枷だらけだ
そう、吐き捨てる。目頭がじわりと熱を持ったのが恥ずかしくて、自分の太腿を見つめた。
だって、そうじゃないか。
自由に生きられるなら、まず大学院でもっと勉強したい、それから小説家になりたい、酷く過干渉な祖母の手の届かないところで生きていきたい。望みはいくらだってある。
でも、大人になってしまったから、そんなわがままも言ってられない。祖母の介護と定年を迎える両親の老後のこと、東京で自由に生きて地元に帰ってくるつもりもなさそうな兄の代わりにならなければいけないこと、家族に恩返しできるくらいのお金が必要なこと。
やらなければならないことだっていくらでもある。大人になったからには、責任がついて回るのだから。
否、大人になると、私の自由を守っていた私の家は、いつのまにか私が自由に生きていく為の足枷となり、重石になる。
大人って、こんなにいろんなものを抱えているんだ。私は大人になりたくなくなった。大人は自由だなんて大嘘だ。だってこんなにも、わがままが許されない。
人生最大のわがままを、少し悔しそうに、少年のように話してくれた父
私が一度に捲し立てるのを静かに聞いていた父は、私の口が止まると、うーん、と唸ってからこういった。
「俺の人生最大のわがままは、大学受験だったんだ」
父の両親、つまり私の祖父母は代々の農家で、父はその唯一の跡取り息子だった。父は優等生で、高校の先生には大学進学を勧められていたそうだ。
父自身も勉強が好きで、大学に行きたいと考えていたが、祖母は今と同じように生真面目な人だったから、それに猛反対。唯一の跡取りなのに、学費はどうするんだ、とかなり言い争ったらしい。
そこで父は泣きながら説得をし、農業に関わる大学なら、公務員になれるなら、という譲歩の下で大学進学を許されたそうだ。
「まあ、結局、その譲歩も少し裏切って農業高校の先生になっちゃったけど」
そういう父は、なんだか少し悔しそうで、でもやってやった、と笑う少年のようにも見えた。
「自由になり切れはしないとしてもさ、自分のやりたいことに、周りの制止を振り切ってでも思い切って飛び込むのもアリだと思うよ。りんは絶対に周りのことを気にせず、とか無理だろうし、完全な自由ってわけにもいかないとは思うけど」
まあ、お父さんとお母さんがなんとかできるうちは協力もするからさ、と笑う父。
甘えたな末っ子の私の真意に気づいていたらしい。やはり親には頭が上がらない。
私はまだ大人になっていないらしい。飛び込む選択肢もある
気づいてしまうのが私の性質。そういうのに疎い兄が羨ましくて、投げやりに父に言ったわがままを否定されなかったのが嬉しかった。
気づいてしまったことを恨む必要なんてない。私は、まだわがままを言っていい、色々背負うのはまだ先だ、と背中を押されていると感じた。
ずっと、恨めしかった、この他人の為にしか生きることができないと思っていた私の身体は、まだ思い切って飛び込むことだってできるのだ。父は私にそう気づかせてくれた。
20歳になってしまった私は、大人になって、父や周りの大人たちと同じように、自分のやりたいことを我慢してでも誰かの為に生きなきゃならないと思っていた。わがままなんていう暇もない、窮屈な世界だと落胆していたが、そもそも私はまだ、大人になっていないらしい。
つまるところ、大人になりたくないなんて言っているうちは大人になんかなれないのだ。
これから先、私はどこかで自由を諦めて、大人にならなきゃいけなくて、結局地元に就職するだろうし、祖母や両親の介護をするだろう。必ず誰かの為に生きることになると思う。
でも、それは先の話。どうせそうなるのなら、今はまだ、子どもでいようと思う。まだ、思い切って飛び込む選択肢を捨てなくていいよと、大人が言っているから。