バレンタインが苦手だ。何も考えたくない、恋愛のことも、義理のことも、チョコのことも。
学生時代のバレンタインはとても楽しかった。教室の中で大きなタッパーが回って、ひとつとっては隣の人へ回す。私は用意してくれた人にだけホワイトデーに返していた。そういう人は他にもいた。正直誰からのだかもわからないタッパーの中の、クラスに配る用・大量生産・チョコ(チョコでないものもあった)を食べて、制作者に感謝するのは教室の中では当たり前で、気楽だった。
前まで楽しかったバレンタインが、年を重ねるにつれ面倒になってきた
大学生になってから、バレンタイン前の異様な雰囲気に気付いた。
のめりこみはじめたインターネットでは、義理に適したもの、本命へはこれがオススメ、自分用に楽しむのはこれで……というエントリを見かけるようになった。どれもおいしそうで、どこで売っているんだろうと思った。
大人の女性はチョコにも詳しいんだ、と憧れた。デパートの特設フロアへ行けば、世界各国のチョコレートが並び、それを求めてたくさんの人が行列を成していた。大興奮だった。
こんなにチョコを好きな人がいるんだ、それってなんだか素敵なことだ!
しかし、いろんな人に良いチョコを買うことは予算的にできなかった。チョコマフィンを作って配った。もらった人はたいてい喜んでくれた。それもまた嬉しかった。
しかし、年を重ねるにつれて面倒になってきた。なんか……これって……やらなくても……いいかも……しれない!
好きな人には申し訳ない。きっと私の中には「バレンタインを楽しみたい」という気持ちがあるんだろう、だからこそこんな風に思ってしまうのだ。
バレンタイン、めんどくさいなあ、と。ああしたい、こうしたい、という理想だけが、インターネットでおいしそうな、高価なチョコレートを見続けているうちに膨らんでしまって、現実の私はそれにおいつけない。
手作りだってそうだ。インスタで映える美しさも、食べる人が絶対に喜んでくれるだろうと思える自信も丁寧さもない。なのに何かをやらなくちゃいけない感覚だけは、楽しかった思い出と一緒に体に残っている。
今年も何もせずに平穏に過ごすつもりが、チョコを頂いてしまった
というわけでここ数年は何もしていない。
できるだけ人にも会わない。バレンタイン前はデパートの特設フロアに近づかない。「バレンタイン」「チョコ」「レシピ」で検索しない。いくつかの決まり事を守れば、とても平穏に一日を過ごすことができる。今年もとっても平穏だった。
しかしミスを犯した。チョコを頂いてしまった。ちょっと良いチョコだ。
食べてみると、おいしい。当たり前だが……こんなはずではなかったと思いながらチョコと一緒に飲むためにコーヒーを淹れる。
最近買ったコーヒーはちょっと苦くて、一緒に口に入れたら絶対においしい。机をひいて皿を出す。食べる分だけのチョコを、吟味してから並べる。ああ、コーヒーが湧いてしまった。
チョコはとってもおいしい。コーヒーがとっても合う。負けた気持ちになる。チョコの魅力に抗おうとしたって無駄なのだ。こんなに楽しい食べ物、みんなが好きにならないはずがないのに。
ホワイトデーのお返しは、あとだしジャンケンみたいなもの
今年のバレンタインは何もしなかった。チョコをもらっただけ、そしておいしく食べただけ。
さて、ホワイトデーはどうしたらいいのだろうか。お返しをしないわけにはいかない。幸い、お返しはそんなに苦痛ではない。私にとってコミュニケーションでたいへんなのは、相手に求められているかわからないまま先に申し出をするときだ。そう、ホワイトデーのお返しは、あとだしジャンケンみたいなものだ。
めんどうくさいなあ、と思いながら、恋愛のことも、義理のことも考えずに、チョコのお返しを考えたいと思っている。