「子どもじゃないんだから、いい加減にしろ!」
涙が出ると、前の職場の上司に必ず言われた。
「いやいや、涙が勝手に出てくるんです……」と訴えても、上司の怒りは収まらず、真っ赤な顔でそっぽを向かれた。
そのうち心身の調子を崩し、入院。退院後、同じ職場で1年間過ごし、転勤。
もう何年も前の事なのに、前の職場の上司に怒られる夢を見て、憂鬱な気持ちになるのが、今の私だ。
ドライになる人間関係に戸惑う。私は大人になれるのだろうか
そもそも、「子どもじゃないんだから」って何?
大人は泣かないのか?喜怒哀楽を見せないのか?
そうしたら、思ったことが顔に出る、感情が高ぶった時に涙が出てしまう私は、一生子どものままじゃないか。
コロナがいったん落ち着いたように見えた昨年12月、大学時代のサークルの集まりがあった。
大学時代はよくカラオケに行き、密着してプリクラを撮り、「うちら双子みたいだね!」とお互い言っていたなっちゃんを久しぶりに見かけ、「なっちゃん……!」と抱きつくと、「変わってないね」とぼそっと言われ、「トイレに行きたい」と言われた。
私がサークルを卒業する日に「はな先輩、卒業しないで……」と言って涙を流した、先輩思いの性格のりんちゃんは、「ああ、はな先輩」とだけ言って、「じゃ、お先に失礼します」ととっとと帰ってしまった。昔は私と家が同じ方面なのを喜んで、「一緒に帰りましょう」と嬉しそうについてきたのに。
大学時代の仲間は喜怒哀楽を見せていない?それとも、人間関係がドライになった?
それが大人になるということなのか……?
どうしたら、28歳の私は、大人になれるのだろうか。
そんなことを考えるたびに、胸がぎゅううと締め付けられ、胃が痛くなる。
そこで、機会を作り、カウンセラーに話を聞いてもらうことになった。
エッセイの中では誰も「子どもと」蔑まず、大人との距離を感じない
「こういうことがあって……」
「あー、分かる分かる」
「自分でもおかしいと思うんですけど……」
「おかしくないよー。そんなもんだよー」
……本当に分かると思っているのかな?
疑問に思った私は、それきりカウンセラーに相談していない。
人それぞれ「個性」はあるだろう。そんなこと、分かっている。
周りにどんどん置いて行かれるような焦り、不安をどうにかしたい。どうにか……。
そうして、私は今日もパソコンに向かう。
約1年前、「かがみよかがみ」に初めて投稿した。投稿して2週間を過ぎ、「私の文章じゃ採用されないか……」と思っていた頃、採用のお知らせの連絡が来て、職場の廊下で今にも踊り出しそうになったのを覚えている。
採用をきっかけに、他の方のエッセイも読むようになった。同じ20代で、皆さん様々な悩みを抱えていたり、様々な人生を生きていたり……。「こう思う人も世の中にいるんだなぁ」と食い入るように読んでしまう。
エッセイ用のTwitterアカウントも開設した。すると、引用リツイートで感想をいただけたり、同い年のフォロワーさんが共感して長文リプをくださったり……。カウンセラーに話した時とは違う、嬉しいことばかりで心があたたかくなる。
リアルの世界では「子ども」だと言われることもあるが、エッセイを書く私のことは、誰も「子ども」だと蔑まない。
「かがみよかがみ」にいれば、私は大人との距離を感じない。大事な居場所だ。