私には、“心の友”と書いて“心友”と読む方の友がいる。

初めて同じクラスになったのは、小学校3年生の時だ。以降、友人関係が現在も続いている、貴重な存在だ。

小学生の頃、お年玉袋を放置してトイレに行ったら、失くなっていた

彼女は、3年前に結婚した。ご主人の退職に伴い、転職先が決まるまでの間、お互いの実家に身を寄せていた。数ヶ月後、彼らが再び、一緒に暮らし始めることが決まり、祝賀会及び送別会を催した。

楽しく飲食をしてから1時間半程経過した頃、次第に彼女の顔色が曇り出した。彼女は「あのね、ずっと謝りたかったことがあるんだ」と、話を切り出してきた。

小学生の頃、毎週土曜日の午後、私は家に彼女を頻繁に招いていた。私は、友達とは“狭く深く”接するタイプである。一度心を許した人には、心を開き、何でも話しをしていた。

ある日、私は彼女にお年玉の自慢をしたのか、お年玉の袋を机の上に放置して、トイレに向かったのだろう。その隙を狙って、お年玉袋を盗まれた。その事実を打ち明けられた際は、衝撃で目の前が真っ暗になった。瞬く間に「裏切られた」と思った。

思い返せば、当時、「お年玉袋が失くなった」と私が騒いでいると、母は、「あの友達に盗まれたんじゃないの」と言った。彼女は大事な友達だから、信じてはいるものの、お年玉袋が失くなったタイミングを考えると、直接確認せずにはいられなかった。

「もしかしてあの日、お年玉袋が失くなったんだけど、取っていったの?」と私が聞くと、彼女は全力で否定した。私は、少しの時間でも、大事な友達のことを疑ったことを後悔し、この件は記憶から忘却することにした。

17年経過し、彼女は嘘をついて窃盗をしたことを「自白」した

17年経過し、彼女は自白した。当時の彼女に、嘘をつかれ、窃盗行為をされていたのだ。彼女は、私の目の前で、大粒の涙を流して謝ってくる。“親しき仲にも礼儀あり”という言葉がある。すぐには、返答ができなかった。

当時の彼女の家庭環境は、貧しかった。親戚との関わりも全くなく、お年玉を貰う習慣がなかった。彼女の生活環境から鑑みて、目の前にポンっと大金が置かれていたら、手が伸びてしまうのも、自然なことかもしれなかった。

大事なものを、人目に付くところに放置していた不用心さ、相手への配慮が足りずに自慢した自身の行動の軽率さが、事の発端である。私はしばらくの間考え、「顔を上げて。泣かないで。過去の出来事だし、もう時効だよ。これからも変わらずに心友でいよう」と伝えた。

彼女は赤い目で私を見つめて、「大人になって、自分でお金を稼ぐようになって、お金を得ることは簡単でないこと、お金のありがたみを実感したの。盗んだ金額は覚えていないけれど、返金する。今日の分も支払う」と言った。

私は、断った。今回のご飯会は、彼女の幸せを願う会だからだ。いつか、私が結婚する日が来たら、その時に盛大にお祝いしてもらう約束をした。彼女は、ようやく、笑顔になった。これで良いのだ。

彼女と私は喜怒哀楽を共有したからこそ、強固な絆を構築できたんだ

だが後日、私はこの件を、会社の後輩に相談した。モヤモヤが残っていたのだ。すると後輩は「優しいですね。僕なら、お金を盗まれたら、信用を失くします。友達関係は辞めますね」と言った。

彼の意見も、頷ける。お年玉袋を盗んだのが、彼女ではなかったら。カミングアウトされた時期が、小学生時代だったら。もしかしたら、彼女との縁を、切っていた可能性はある。

しかし、長い年月を経ている。彼女は、カミングアウトしたら、友情にヒビが入るリスクを背負って、縁が切れることも受け入れる覚悟でいた。長年の間、彼女は、謝罪するタイミングを見計らっていたが、私がその隙を与えない空気を、生み出していたかもしれないのだ。彼女の覚悟には、感謝である。

彼女は、欲望に負けた。しかし、過ちを悔い、正直に話し、謝罪してくれた。喜怒哀楽、全てを共有したからこそ、現在に至るまでに、強固な絆を構築できた。

真の“心の友”になることができた彼女と、一生の友達でいることを、ここに誓う。