新型コロナウィルスと共に大学を卒業し、社会人として入社を果たした1年目。この年は、私が生きてきた人生で最も揉まれた年であっただろう。
夢と希望を抱いて入社をした。現実は厳しく、先輩からの仕事をこなすことで精一杯だった
社会に貢献できるような人に、自分の選んだ仕事に誇りを持てるような人になろうと、こんな私を選んでくれた会社のために頑張ろうと、少なからず夢や希望を抱いて入社をした。
しかし、現実は厳しく、仕事中何をしていいか分からず、先輩に言われた仕事をこなすことで精一杯だった。分からないこともたくさんあり、先輩に聞くと「それぐらい自分で考えてやりなさい」と言われ、ある程度自分で考えてこなすと、「ちゃんと周りに聞いてからやらないと痛い目にあうよ」と言われ、どうしていいか分からない状態だった。
どうしたら叱られるずに済むだろうか。どうしたら仕事を早くこなせるだろうか。
そんなことを考えていた。
会社の暗黙のルールに従い、若手社員は若手社員らしく。私は1年目らしく行動し、演じた
そんな中、先輩によく言われた言葉は、「労働という対価を払ってお金をいただく立場なのだから、学生と一緒の考え方のままではなく、大人になりなさい」という言葉だった。
学生の時の私は、楽しいことがあれば笑い、映画や悲しいことがあれば泣き、嫌なことがあったら怒りを表していた。
しかし社会人になると、そのようなことはできなかった。当たり前と言えば当たり前なのだが、この行為は予想以上にきついものだった。感情を捨てさり、会社での自分のポジションや求められていることをする。
そう、上司は、上司らしく、営業の人は営業らしく若手社員は、若手社員らしく、極論社長は、社長らしく演じるのである。
私も「1年目なのだから自分から挨拶しなさい、率先して手伝いなさい」「この仕事は、若い人がやる仕事だから」と言われ、その会社の暗黙のルールに従い、自身が1年目であるのをアピールするが如く、行動し、演じた。そこに喜怒哀楽という感情はなく、ずっと無であった。ただ会社の人たちに1年目の行動を求められ、円滑にその会社で動くためにそのように行動しただけなのだ。
もうすぐ社会人2年目。もう少し楽に”2年目”という役を演じられることを祈っている
そう、このように誰もが演じているのだろうと私は思う。演じているというよりも、その役割を押し付けられており、それを無意識にキャッチし演じていると感じる。年を重ねて色々な仕事を任せてもらえるようになった時には、私はその仕事にあった人を演じているだろう。
そう、この社会では、色々な人が演じながら生活をしている。理不尽な押し付けも時にはあるかもしれない。それでも心を擦り減らしながらそれに応えようとする。そのようにして、立派な社会人として成長していくのであろう。
もうすぐ社会人2年目になろうとしている。後輩も入ってくるだろう。新たに、2年目という役を演じなければならなくなる。
社会人になって1年経った私は上手に演じられるか不安である。
けれど1年目の自分より肩の力を抜くことができ、もう少し楽に演じられるようになることを祈っている。
未来の自分が立派に社会に貢献できるのはまだ、だいぶ先の話になりそうである。