「バレンタインには毎年、チョコレート菓子を作るんですよ」
出会ったばかりの頃、彼が電話で言っていた。
「去年はチョコレートケーキを作りました」
そう電話越しに言い終わるなり、携帯画面に新着メッセージの知らせが届く。開くとチョコレートでコーティングされたケーキらしきものの写真が送られてくる。上にちりばめられているのは砕いたナッツだろうか。

誰に渡したのだろう?心の中で生まれた質問を、口に出せる勇気はない

「へぇ、すごい。おいしそうですね」
そう相槌を打ちながら、誰に渡したのだろう?と心の中で聞けない質問が生まれる。
口に出せば楽になるかもしれない。でもそんな勇気はない。もしも距離感を間違えてしまったら、もう二度と連絡も来なくなるのかもしれない。
「おいしそうでしょう?ちょっとミスっちゃったんですけどね」
ふふっと照れるように笑う声を聞いて、私は余計に質問することができなくなってしまった。携帯電話に繋いだイヤホンからする彼の声はいつも通り心地よかった。
失いたくないな、と思う。できればこんな他愛もない話をずっと続けていたい。この声を聞いていたい。
「私もいつか食べてみたいなあ」
希望を口にするだけならば、罰は当たらないだろう。そうは思いつつも、口にした言葉は予想以上に自分の本心だったようで、後から本当にそうなればいいなという温かさと、そうならないかもしれない未来に対する不安からくる少しの切なさが広がった。

月日は残酷で、彼が私に対する興味を失っていることは明らかだった

それからも彼は時折、料理の写真を送ってきた。外食もあったが、ほとんどは手料理で、どれもおいしそうだった。一汁三菜のそろったごはんやパンを焼いたから作ってみたハンバーガー、パイ生地から何時間もかけて作ったクロワッサン……。
私は料理が得意ではないから、その器用さにも惹かれていたのかもしれない。日々の食事は1品と白ごはんの日が多いし、パンなんて焼いたこともない。クロワッサンなんてもってのほかだ。日々の忙しさの中で合間を見つけて挑戦して実現できるところがかっこいいなと思った。

月日は残酷だ。
やがて毎日していた電話が週に1度、月に1度と減っていき、遊ぶ予定を立てるための連絡にすら返信があまり来なくなった。
彼が私に対する興味を失っていることは明らかだった。問題なのは私の中で彼に対する感情が冷めてくれないことだった。どんなに冷たくされても、数日後に新着メッセージの知らせが届くだけで、心が浮つくのがわかった。それだけで世界が明るく見えた。たとえ、その内容が「その日は忙しいです」という無機質な一文であったとしても。

2月14日。彼の作ったチョコレート菓子を食べることは叶わなかった

2月14日。バレンタイン。
彼の作ったチョコレート菓子を食べることは叶わなかった。
彼は誰かにチョコレート菓子を作っているのだろうか。その誰かは喜んでくれただろうか。私がいくら努力しても手に入らないそれは、その人にとってどのくらいの価値のあるものだろうか。
考えても仕方がない。そう言い聞かせても、頭は考えることをやめてくれない。
来年も同じように今年は誰に何を作ったのか考えるのだろうか。
ぐるぐると答えのない疑問ばかり浮かんでなにも手につかない。一年先のことなのに嫌になる。惚れっぽい私のことだから来年には他の人のことを考えているかもしれない。気になる人が現れればすぐに移り変わるくせに、現れなければ想い続けてしまうところが苦手だ。

せめて、彼と彼の好きな人が幸せであればいいなと思うようにする。
そう願わないと思いもしない不幸を願ってしまいそうで怖い。きれいごとだとしても、私の隣でないとしても、どこかで幸せに生きていてほしい。
どうか、二人でチョコレート菓子を挟んで幸せな時間を過ごしていますように。
ハッピーバレンタイン。