ある晴れた秋の昼下がり。母は温かな日差しをまとい、赤ん坊を抱いてゆらゆらと揺れている。私はその様子を見ながら、自分もこんなふうに抱かれていたのかと、当時自分と同じくらいの年齢の母を想像し、たまらなく彼女に会いたくなった。

当たり前だが、私が産まれたときから母は母であり、大人であった。でも当時の母はどうだったのだろう。人はいつ大人になるのか。

大人になりたくなかった私が母に。海外出産を選んだがコロナで

小さい頃、二十歳になれば勝手に大人になると思っていた。しかし二十歳になっても、特段変わった気はしなかった。就職すれば大人になると思ったが、新人として先輩方には「若いねえ」と言われ、むしろ若返った気がした。
大人をみると、眼差しはだんだんと光を失い、妥協が増え、責任ばかりが増えている。私はもっと希望を持ちたかったし、重い責任は嫌だった。未来を夢見ながら、でも怖くて何もできない。

私はいつしか結婚をした。
結婚をすると大人として立ち回ることも増えたが、生活スタイルは変わらず、新生活への期待を胸に、気持ちは爽やかだった。

そんな私にも転機が訪れた。お腹の中に命が宿ったのだ。初めて子の心臓の音を聞き、ああ、こんな私の元にも命が来てくれたんだと思うと泣けてきた。
しかし、まだ子育ては始まらないから自由であった。私は産休中、夫の海外赴任先で暮らし、現地の大学で勉強をしていた。日本から母が出産の手伝いに来てくれることになり、安心して日々を楽しんだ。

しかし、そんなお気楽ライフもコロナウイルスを前に崩れることになる。国境が閉ざされ、母が入国できなくなったのだ。私はすでに滞在許可を得て現地で臨月を迎えていた。現地で産む他になかった。

まあ、なんとかなるだろう。
私は持ち前の気楽さで出産の日を待った。

手の震えや涙が止まらなくなった。産後鬱の傾向があると診断された

出産は人並みに壮絶ではあったが、無事に終えることができた。
しかし、産後はそうもいかなかった。体の戻りが悪く、入院が長引くことになったのだ。
現地の病院は母親学級も産後指導もない。「おめでとう!何かあったらいつでも聞いて!じゃあね!」と、産まれたての赤ん坊を置いて颯爽と看護師が去っていった。コロナの面会制限で夫は限られた時間しか病院に入れず、ほとんど新生児とふたり、病室に置き去りだった。

ほどなく赤ん坊は泣き出し、私は慌てて体を起こそうとした。
激痛が走る。経験したことのない痛みに耐えながら、ゆっくりと起きて赤ん坊のもとに行く。
やっと抱き上げる頃には待ちくたびれて何をしても泣き止まない。私はどうしていいかわからずナースコールを連打した。

朝も深夜も関係なく泣き叫ぶ我が子に、言うことの聞かない体。私が対応するのが遅いから、赤ん坊は私が抱いても泣き止まず、むしろ大暴れ。お腹を痛めて産んだのにどうしてと絶望した。
健診や予防接種は現地語で案内される。翻訳機を使っても頭は混乱し、内容が全く入ってこない。このままだとまともに病院にも行けず、この子を殺してしまうのでは。私はたまらなく怖くなった。

気づけば、私はナースの前で泣きじゃくっていた。ナースは私のめちゃくちゃな英語を一生懸命聞き取り、落ち着くのを待ってアドバイスをくれ、他の看護師に状況を共有してくれた。
この日を機にナース達と心が通うようになった。患者が少なく人手が余っていると、私につきっきりで丁寧に教えてくれた。夫も毎日病院に来て一緒にお世話をしてくれた。

それでも、止まない泣き声と激痛の走る体と寝不足と言語のストレスにやられてボロボロだった。結局、ナースや夫の助けなしに育児をできないまま退院をした。

退院後は夫や現地の保健師に助けられ、なんとか日々を生きていた。母に電話し、「お母さん」と呟きながら何度も泣いた。子供を産んだのに、親に人にと甘える子供になった気がした。

母親失格だ。我が子に申し訳なくて、恥ずかしくて、色んな感情に押し潰されそうだった。ついに手の震えや涙が止まらなくなった。
産後鬱の傾向があると診断され、カウンセリングに行ったが、異言語で悩みを言うのは難しく、気が晴れない。夫、母、ナース、保健師、カウンセラー。こんなに沢山の人に支えられているのに、不甲斐なかった。

しかし、そんな日々も少しずつ変化していった。体調が回復し、何度も夜に起こされる生活に慣れてきた。何より、あんなに抱っこを拒否していた我が子が笑いかけ、私を求めるようになった。

相変わらず慌ただしかったが、心の余裕が出ると全く生き方が変わった。我が子をじっくり見ることができ、なんでもしてあげたいと思うようになった。
ようやく母になれたと思った。いつしか私はワンオペ育児をこなし、日本での復職のため、仕事のある夫を置いて我が子と二人きりで帰国するまで成長した。

育児で強くなった自分も、母の前ではまた子供に戻った気がした

帰国後、一番支えてくれたのは母だった。夜中に泣き声を聞くと、私より早く起きて寝かしつけてくれた。ありがとうと言うと、「一番大変な時にそばにいれなかったから」「やっと抱っこができるのが嬉しい」と言う。

母のありがたみが身にしみた。強くなった自分も母の前ではまた子供に戻った気がした。私が弱っていると、「お母さんも最初はできなかった。親もはじめから親じゃない。段々親になるんだから」と励ましてくれた。
そうか、母もはじめから母じゃなかったのか。
当時の母に会えるなら、彼女が私の夜泣きで眠れぬ夜を過ごしているときに一緒に起きて、今の母がかけてくれた言葉をかけてあげて、親になったばかりの二人で大人になるために励まし合いたいと思った。

もちろん、親になることと大人になることは同義ではない。しかし、育児を通して触れた母のあたたかさと強さは、決して子供が出せるものではなかった。
私も産後しばらく子供のように泣いていたが、いまは子供のために盾となる気概がある。周りに感謝できるようになり、愛する喜びを知り、人生に深みが出てきたように思う。
それが大人ということなんだろう。それでも、きっと母の前ではいつまでも子供だ。

誰しも、はじめから大人な人はいない。生きている中で、だんだんと人生に深みが増し、大人になる。そして、私が母の前では子供に戻るように、大人と子供の合間を行き来するのだろう。
大人になるのは思ったよりも自然で、心地良い気がした。