私がまだ4歳ほどだったころ、食卓で「大人って何?」と母親に尋ねた。
母親は少し顔をしかめた後、「結局、子供を持たないと大人にはなれないのよ」。
質問に対する答えにはなっていないけど、そういうものなのだとその答えとジュースを飲み込んだ。
酒癖が悪く、変わってしまう母。「あんな大人」にはなりたくない
彼女は酒をよく飲んだ。ビール、ワイン、焼酎、日本酒、ウイスキー。飲めるクチであるのは間違いないだろうが、酒癖は最悪。酔えばかんしゃくを起こしたようにいきなり怒り出し、人の話を聞こうとしなかった。時には、怒りのあまり泣き叫ぶこともあった。
私はそんな彼女が怖かった。赤らんだ顔、喉を痛く擦る声、強く開かれた眼、その眼から子供のようにぼろぼろと落ちる涙。そして、勢いで頻繁に勃発する両親の夫婦喧嘩には布団の中で泣くことしかできなかった。
だからと言って、その他の家庭と比べて家庭環境が極端に悪かったわけではなかったと思う。自分は幸せだと感じる瞬間だって何度もあった。
しかし、その恐怖心は思春期を通して、不快感に変化する。トイレや風呂や布団で泣くことしかできない自分を、反抗することで許してきた。「自分はあんな大人にはならない」。
だから、私は大人になりたくなかった。自分が「あんな大人」になる蕾のような気がしていて、それを開かないように慎重に行動すべきだと信じていた。
その第一原則は酒を飲まないこと。大学生になり、たまに参加する酒の席でも、笑ってごまかした。「未成年なんだから酒なんか勧めるなよ」という気持ちも隠しつつ、酒の勧めを割とうまくかわせるようになったと思う。
さらには、なれない酒に呑まれて千鳥足で歩く友人の介抱という役割も得た。これでいいと安心できる予定だった。
酒を拒絶できる切り札「20歳未満」の有効期限はあと1年もなく、焦る
だけど、なぜだか。シャーリーテンプルが少し苦かった。
「未成年だから酒はだめ」「そもそも飲むかどうかは私の自由だし」「強要されれば、それはアルハラってやつでしょ?」
自分を肯定する正当な理由も役割もあるのに、心に靄はかかったまま。どうすればいいかわからなかった。そんな中でまたもや到来したコロナウイルスの第6波は、私から新年会と不本意さを遠ざけてくれた。
不謹慎だが、都合がいい。20歳が近づいていることを知らせるカウントダウンの秒針の音は、小さくなる。高校生の頃のように、酒について考えなくてよくなった。気が楽。私の蕾はこれからも氷の中でかたまったまま。
というのは真っ赤な嘘。強がりでしかなかった。
1月に19歳になり、自分がお酒を拒絶できる最大の切り札、「20歳未満」の有効期限はあと1年もない。正直焦る。氷は春が近づくにつれてとけていく。
そんなの嫌だ。私はずっとウーロン茶を飲んでいたい。自分のストレスを酒で発散して周りに迷惑をかける大人にはなりたくないのに、20歳は刻々とちかづいてくる。
そこで、ふと思い出した昔の話。「青春」の言葉の話をしていたとき、「人生を一年に例えるとしたら、ママは今どの季節を生きているの?」と聞いたことがあった。
私は、当時40歳過ぎの彼女は「秋」「夏の終わり」と答えるのだと純粋に思っていた。しかし、彼女は笑って、それでもしっかりとした声で「まだ春だよ」。
彼女は素面だった。彼女は、春を生きているような顔をしていた。
彼女は春を生きている。きっと、これからもずっと
しかし、私は帰省する度に気づいていた。母の背中の小ささに。
見ない間に増えた白髪の筋。小さい頃握った手は皮膚がずっと薄くなってしまっている。そして彼女は私が帰ってくるたびに「大きくなったね」としわの増えた顔で笑うのだ。
今思えば、強い人だった。私の兄を産んだ後、シングルマザーとして彼を育てた。再婚した後も、男社会である土木業界の一企業を経営し続けている。
毎日、沢山背負って、戦って、それで家に帰っていたはずなのに、温かな料理を何品も作っては私たちに食べさせた。いくら疲れていても、家をきれいに保つのも彼女のセオリーだった。
今、そんな彼女は、どの季節を生きているのだろうか。
多分、答えはあのときと変わらないだろう。周りからどう思われても、年齢の「若さ」がなくても、彼女は春を生きている。きっと、これからもずっと。
私も、いつか春を迎える。今はまだ飲みたくないけど、いつか酒だって飲むかもしれない。
でもそんなこと何も関係ないだろう。飲もうが、飲まなかろうが。
一生、あの素晴らしい季節を生きている気持ちでいることが、大人でいることなのかもしれない。静かに近づく春の足音。気づいたらすぐに横にいるかもしれない。私は、もうそれが怖くない。嫌でもない。
氷が溶けて、蕾が開く気配がする。どんな花になるかは私が決める。私はずっと、花。私は、ずっと春を生きていたい。