毎月のお小遣いはなし。お年玉で年間計画を立てていた

我が家には「毎月のお小遣い制度」というものがなかった。
「我が家は貧乏」という、親がふざけて発するその言葉を真に受けていた私は、「うちは貧乏だからお小遣いがなくてもしょうがない」と高校生まで本気で思っていた。

たしかあれは小学校4年生の頃、母が気まぐれに「1週間で100円ね」という言葉と共にお小遣い制度の導入を試みたことがあった。しかし、すぐに飽きてしまったのか、その制度は3ヶ月も持たずにいつの間にかなくなっていた。
思い返せば、当時、近所に商店はおろか、民家もないような場所に住んでいたので、お小遣いはなくとも何の支障もなかった。

しかし、商店はなくとも欲しいものはある。
好きなアーティストのCD、ファンシーな文房具、カラフルなペン、毎月発刊される少女漫画雑誌……それらを手に入れるべく、私は毎年「お年玉使い道ノート」というものを作っていた。
巷でよく聞く「親からのお年玉回収」はなかったので、その年にもらったお年玉の合計金額を出し、貯金◎◎円、CD〇〇円、残額△△円は12ヶ月で割ると××円だから、1ヶ月××円が使える!!という具合に年間の見通しを立てていた。
そして、その作業は毎年の楽しみだった。

常に金欠の高校時代。「お小遣いが欲しい」と言い出せず

高校生になると、電車に乗って少し遠くの学校に通うことになった。
始発で学校に行き朝練、授業を受け、放課後には18時半まで部活。部活が終わると友人Mと電車に乗って下校。
お昼ご飯に食べた母お手製のお弁当だけでは、そんな長時間持つはずもなく、部活が終わった頃にはお腹が空いてしょうがなかった。しかし下校には1時間弱を要する。育ち盛りの私たちには耐え難い時間だ。

ある日Mが「コンビニに寄ろう」と提案してきた。私は困った。
「今月はファッション誌買っちゃったから、残り500円もないんだよなぁ……」
高校生になっても、我が家では毎月のお小遣い制度は導入されなかった。親に提案してみれば良かったのだけれど、本気で貧乏だと思ってたし、私立の高校に通わせてもらって毎月の部費も払ってもらっているという引け目があったので、「お小遣いが欲しい」なんて言えなかった。
母に遊びに行くと言えば、その都度数千円を貰えるのだが、使わなかった分は「妹と弟の塾代の足しにしてください」と思いながら返金していた。アルバイトは学校で禁止されていたし、隠れてやっている子もいたが、土日も1日中部活のためできず、常に金欠だった。

かたやMは毎月5000円をお小遣いとして貰っているらしかった。
高校生の私からし たら5000円は大金だ。しかも末っ子。妹弟の塾代や今後の進路の学費について考えなくていいなんて羨ましい(末っ子は末っ子で考えることもあるんだろうけど)。家の畑仕事を手伝えば時給制で臨時ボーナスまでもらえるらしい。羨ましい。

友人間で格差を感じながら、週に2、3回はコンビニに寄った。
Mはホットスナックやパン、お菓子など2、3品買う。私の選択肢は唐揚げ棒か赤ちゃんの腕みたいなパンかチーズ味のスナック。どれも100円。Mが買うのを「なんか食べたいものないや」と眺めている日もあった。

救ってくれたのは怒りっぽくて変わり者の父からの1万円

そんな金欠生活を救ってくれたのが父だった。
うちの父は自他共に認める変わり者。気に食わないことがあればすぐに怒鳴るし、酒が入れば説教が止まらない。TVに夢中になっていれば話を聞いていないと怒られ、お前は昔からそうだと蔑まれる。夕食は食べ終えているのに席を立つことも許されず、2、3時間を無駄にすることはザラだった(それを中学の先生に相談したら児童相談所に連れていかれそうになった)。

高校生の頃の親子関係は私の思春期も相まって、史上最悪。悪くない日もあるがいい日は決してない。
しかし、どうしても二人きりにならざるを得ない時間があった。朝の通学だ。
家から最寄り駅までは5キロ。その5キロは父親が運転する車での送迎だ。喧嘩をした翌日の車内に響くのは車のエンジン音のみ。およそ10分の道のりが長く感じられた。

ある時から父は数ヶ月に1回、「家族には内緒な」と言って、1万円を渡してきた。
たいてい、赤信号で停車している間。父はずっと視線を前方に向けたまま、斜め後ろの席に座る私に向けて、祖母にお小遣いでももらったのか、パチンコで勝ったのか、多くはない自身のお小遣いから出したのか出所不明のそれを持った手を伸ばしてきた。
最初は「遊ぶときはお小遣いもらってるしいいよ」と断る素振り(あくまで素振り)を見せていた。しかし、私は小学生の頃から1年間のお金の使い方の見通しを立てるようなやつだ。高3の頃には「2ヶ月に1回とか3ヶ月に1回とか定期的にしてくれればいいのに」とすら思っていた。人って本当に現金。

実家を出て10年が経った。怒りっぽい父は健在だ。
この前帰省した時も、些細なことで怒鳴り始め、家族全員のひんしゅくを買った。妹は父が怒鳴り始めた瞬間、「お姉ちゃんの出番だよ」と言って自室に向かった弟を追いかける。
私は父の話を聞き、宥める。父は「お前は優しいな。偉いな」と言う。
本当は私だって怒鳴る父を放っておきたいし、家族から爆弾(父)処理班のように扱われるのも我慢ならない。

でも「しょうがない、お小遣いくれてたし」と思い直して父の話を聞き続ける。
その度に、父のあれは家族に嫌われた時のための先行投資だったのかな、と考える。
投資先が妹や弟だったら味方になってもらえなかったかもしれない。父の投資は今のところ成功しているようだ。