今年1月、成人式には行かなかった。長く私立校に通っていたこともあり、同じ学区内の友人がいないことが一番の理由だった。
でも、それ以外にもう一つ理由がある。
ここだけの話、大人になりたくない、と思ったからだ。

大学生活という名のモラトリアムも、早2年目が終わろうとしている。私の大学生活は、現在進行形で超充実している。
バイトやサークルに明け暮れる日々、恋愛も遊びも楽しーい!……というのではない。むしろ逆。大学での学びが楽しくて仕方ない。
特に、教授とお話できることが楽しい。授業の質問にお答えくださったり、進路相談にのってくださったり。

化け物級のご経歴やご経験をお持ちの先生方からすれば、私の質問は虫けら並みのちっぽけなものだろう。それにも関わらず笑顔でお答えくださる先生方。私は本当に良い学習環境に恵まれている。

卒業後は大学院に進学したい。異国の地でバリバリ働く理想の自分

そんな私は、今日もA先生のもとに伺う。
A先生は、私の学部の建物の事業室でお仕事をされている。学生のスタディールームでもあるその部屋には、他の先生方や先輩方もよくいらっしゃる。大学の目玉スポットとして有名な広場や庭園よりも、私にとっては魅力的だ。A先生のことは大好きで、とても尊敬している。
でも、A先生のとある一言が、未だに私のなかで引っかかっている。

「寒いね」が飛び交うある秋の日。
その日も、私はいつものようにA先生の部屋を訪ねた。周りの先輩方がインターンに励んでいらっしゃったこともあり、私は先生に進路について相談していた。

勉強が好きで知的好奇心の塊のような私には、さらに探求したい分野があり、進学を考えている。大学を卒業したら、奨学金を利用して大学院に進学したい。海外の大学院にも興味がある!やっぱり将来は海外で働きたい!
一生懸命勉強して、将来、異国の地でバリバリ働く理想の自分を思い描きながら、私は少し興奮気味に先生にお話した。

「女性だから」諦めなさい、進路探求の途中の私に仰った先生の言葉

そんな私に、先生は「あんまり言いたくないけど」と前置きをされて、こう仰った。
「女性だから、ライフイベントのことも考えなきゃいけないよ」

女性だから?ライフイベント?
「何のことですか?」
私は思わずお尋ねした。結婚や育児のことだと先生は仰った。

「大学を卒業して22歳。大学院に進学して修士も、その上もし博士もってなると、20代なんてあっという間に終わっちゃうよ。結婚できないよ」

女性はかつて、クリスマスケーキに例えられたと聞いたことがある。婚期を過ぎた女性は売れ残りのケーキのように魅力がなくなって、結婚は難しくなる、と。今でもそうなのだろうか。
まだまだ学びたいことも経験したいこともあるのに、「女性だから」結婚や育児といったライフイベントに縛られるらしい。そして、それを考慮した上でのキャリア形成が模範解答らしい。
確かに、未熟な私が思い描く将来のビジョンはまだ理想像に過ぎず、進路探求の途中なのは事実だ。でも、私にとってA先生の仰ったことが、何だか「女性だから」諦めなさい、という意味に聞こえてしまったのだ。

成人する年齢になって、大人は少しも自由ではないことに気づいた

あれから、将来のことを考える度に先生のお言葉が頭をよぎってしまう。私が先生と同じ男性なら、先生はこのお話をされなかったのではないか。

思い返すと、小さい頃は早く大人になりたかった。大人は自由だと思っていたから。誰かにガミガミ叱られることなく、好きなことを仕事にできると思っていたから。
でも、世間一般から成人したと言われる年齢になった今、大人は少しも自由ではないことに気づいてしまった。特に、私が女性だから。

振袖に袖を通す日、私は自分自身を大人だと認めることになるのか。これから「女性だから」苦労すること、諦めることも全部、仕方ないと受け入れることになるのか。

それなら、ずっとモラトリアムがいい。大人になんて、なりたくない。
そう願っても、現実は甘くないことは知っている。
でも、夢だけでも、見させてよ。