大人「らしく」振る舞っても、素の自分は20年前と変わっていない

「大人」の定義とは何だろうか?
年齢を基準にすれば、私はとっくに成人を迎えている。お酒が飲めることだろうか?働いていることだろうか?はたまた確定申告ができることだろうか?
どれもそれなりにこなすことはできるけども、果たして私は「きちんとした大人」なのだろうか?
社会人を何年かやっていると、大人「らしく」振る舞うことはできるようにはなった。でも素の自分は20年前と何も変わっていない。可愛らしいキャラクターを愛でたり、テーマパークに行けば心踊る。

ちなみに小学生の時に書いたプロフィール帳の大人になったときの夢は、「かわいいお嫁さんになること」だった。それに加えて、その当時流行っていた女性グループも好きだったので、アイドルにもなりたかった。あの頃、テレビでは法律番組がよく放送されていたので、弁護士にも憧れていた。
残念ながら私は特別容姿が良い訳ではないし、ダンスも上手くなかった。飛び抜けて頭が良い訳ではないし、努力家ではなかった。
「なれなかった」というよりも目指す前から諦めていたのだ。
私は「誰かの」お嫁さん、「アイドル」、「弁護士」という肩書きの「何者か」になりたかったのだ。

周りと比べ、私は「大人」のステップを踏めていないかもと落ち込んだ

さて、20代後半も過ぎた現在の私は、地元でしがないOLをしている。OLという言葉自体も、もはや前時代的なものとなってきた。
地方都市で暮らしていると、誰が定義したか分からない結婚適齢期を迎えた女性にはしばしば心無い言葉が向けられる。「休みの日は彼氏とデートをするのか?」「そろそろ良い人はいないのか?」など例は枚挙にいとまがない。
田舎ではセクハラという概念がないどころか、コミュニケーションの1つとしてそんな言葉たちを投げつけてくる。

20代半ばを過ぎると、周りの友人や同級生たちは結婚や出産を迎える。そんな周りと比較して、自分は着実に「大人」のステップを踏めていないのではないか?と落ち込むこともあった。
少し前に独身女性に対して名付けられた付けられた「負け犬」「行き遅れ」という言葉に囚われ、がんじがらめになったこともあった。孫の花嫁姿を楽しみにしている祖父母や夢見る小学生の自分に、申し訳なく思うこともあった。

どんな選択をしても、それはその人にとってどれも「正解」なのだ

さて、現在の私は相変わらず結婚も出産もしていないが、それなりに楽しく過ごしている。趣味である旅行はこのご時世からだいぶお預けを食らっているが、週末に飲むこだわりの日本酒はまた格別である。
私がこれから結婚して子供を産む、結婚という形を取らず誰かと一緒にいる、はたまた独身で生きていくかは誰にも分からないことだ。昨今の性別や年齢に関係なく、多様性を認める社会の風潮が浸透して欲しいと心から願うばかりだ。

周りが他人の生き方にとやかく言うことはナンセンスなことだと思う。何に重きを置くかはその人の自由で、他人が介入して良いものでは決してない。
どんな選択をしても、それはその人にとってどれも「正解」なのだ。
今はちょうど価値感の過渡期にいる。これからの全ての人が何にも縛られることなく生きやすくいられますように。