私はワーカホリックらしい。
ワーカホリックとは、私生活の多くを犠牲にして打ち込んでいる状態を指す言葉である、らしい。
そして、仕事に打ち込むあまり、家庭や自身の健康などを犠牲としてしまう、とのことだそう。

人生を犠牲にするほどではないけど、仕事が好きで中毒状態ではある

伝聞の形なのは、周りの人たちがなんやかんや言ってくるのに、私にまったくその自覚がないからである。
私生活の多くを犠牲にしているかと言われればNOだ。睡眠時間があって、ご飯を食べる余裕があって、趣味ややりたいことに費やす時間だってある。
かつてトリプルワークをしていたフリーター時代に比べれば、まっとうな労働時間を守り、遂行している。

でも、仕事は好きだ。LOVE。仕事がなければ死んでしまう。
人生を犠牲にしているわけではないが、とりこになって中毒状態であるのは否めない。

友人でもないし、パートナーというにも足らない関係性の人がいる。そいつにプロポーズしたことがあるが、パートナーになるには足らない、いろいろな条件を言われた。
その条件の中で言われたのが「結婚したら、君が働けるところないよ」という言葉だった。

そいつは地方の中でも僻地にいて、そしてしょっちゅう転勤をしている。
転勤が多いので長く働くこともできない。そもそも、僻地ゆえに働ける場所もない。
仕事ができる、できないの基準はそいつに言われるまで、まったく自分の中になかった基準だった。改めて言われて初めて「働けない」という可能性にショックを受けた。
起きても家事くらいしかやることがなく、日がな一日まどろむような、そんな家庭に入った生活は早々に耐え切れなくなると予想できた。
大学生時代の夏休みはバイトを詰め込み、定時で帰れる仕事に就いた今でさえ副業をしている。

エネルギー発散し、お金も得て、生活リズムも整う仕事が生活をまわす

よく考えなくても、私は仕事大好き人間。
仕事をしない期間があると、最初はのびのびできていいのだが、だんだん息が苦しくなってくる。息苦しさは、生き苦しさになってくる。ついには何かしなければという焦りと、ありあまるエネルギーを持て余すようになって、次の仕事を探し始める。

高校までの私は大の人嫌いで、他人とのコミュニケーションの取り方がわからなかった。まず仕事というのは、多かれ少なかれコミュニケーションが発生するから向いていないと思っていた。面接に始まり、接客応対を強いられ、人間関係に悩む。
その側面は否定できないし、今でもコミュニケーションが発生する場は苦手だが、それが逆に支えにもなっている。

私は弱い人間なので、一人っきりで仕事をするというのができないのだ。
自力で決めた時間から仕事に取り組む。黙々とやる。そういうのが本当にできないので、人がいる環境でしか仕事ができない。きっとリモートワークもできないと思う。
ありあまるエネルギーを発散できて、お金ももらえて、生活のリズムもある程度決まってくる。仕事が成功すれば承認欲求だって満たせるし、さらにやりがいも満たされる。
仕事を支えとして生活をまわしているようなものだ。

「仕事と私、どっち」なんてセリフは仕事好き人間に言ってはいけない

そんな私に、仕事のない生活をしろだなんて、私を否定すると同義である。友人でもなければ、パートナーでもないそいつが知っている私は、間違いなく私の核の部分だった。
「仕事と私、どっちが大切なの!」
そんなセリフは仕事大好き人間には言ってはいけない。
仕事大好き人間の私は、迷って、なんだかんだ言い訳をしながらも「仕事が大切」と答える。そもそも仕事大好き人間の根っこに仕事があるのだから、パートナーはその秤に乗れないのである。

なーんてことを言えるのは、仕事がうまく回せている今だから言えるのかもしれないし、若いからそう思えるのかもしれない。
でも、アルバイト含め、仕事というものに触れてから、早くも十年目の春になる。仕事中心のスタンスでやってきて、今、とても息が楽だ。
これからも、続けられる限りそういうスタンスで生きていきたい。