東京都内在住、29歳独身彼氏ナシ、仕事はテレビ番組のディレクター。
わたしにとって仕事は、わたしのすべてだった。“だった”と過去形にしておくほうが正解だろう。
去年の5月末に適応障害を発症し、うつ状態に突入しつつある今は仕事を休職している。

わたし=テレビ=仕事。テレビの虜になり、テレビ制作会社に就職した

昔からテレビが大好きで、テレビを見ていても文句を言われないように帰ってきてすぐに宿題を済ませたり、「いいかげん寝なさい!」と母に怒られるまで、いくらでも夜更かししたり、お気に入りの番組は録画してテープが擦り切れるまで何度何度も繰り返し見るほど、わたしはテレビの虜だった。
わたしは見てきたテレビ番組で構成されている、という自負があるほどだ。
そんなわたしが新卒で制作会社に就職し、テレビを制作するようになった。つまり、わたし=テレビ=仕事なのだ。

AD時代から毎週徹夜し、毎月の残業100時間以上というのが当たり前の環境でがむしゃらに働き、26歳でディレクターに昇進した。
両親や友人に「働きすぎだよ」「大丈夫?」と何度も言われていたが、「テレビ業界で“女性”ディレクターが生き残るには多少の無理は仕方ない」と自分に言い聞かせて必死にやってきた。

あれ?わたし、今のテレビ好きじゃない?突然気づいた自分の気持ち

ここからは結果論として書くが、私がおかしくなり始めたのは2020年、ディレクター3年目の秋だった。
日記に「誰のために番組を作っているのかわからなくなった」と記してあった。その時期は各局1日中コロナウイルスのニュースを取り扱っていて、事件や事故、芸能ゴシップなんてもってのほかという雰囲気だった。

ある日、ふと我に返ってしまったのだ。
「視聴者は本当にコロナのニュースを見たいのか」「もっと楽しい明るい話題が見たいのでは」と。
なぜなら、わたしがそうだったからだ。
毎日毎日、医療従事者や飲食店の方々から悲痛な声を取材し、感染者のつらい闘病生活を教えてもらう日々から離れたかった。突然思いついた自分の本当の気持ちに戸惑った。
あれ?わたし、今のテレビ好きじゃない?

その時期から夜寝られなくなり、寝るためにお酒を頻繁に飲むようになった。家にいる時間のほとんどを飲酒していたと思う。そして、涙が止まらなくなることも増えた。
これまでも年に数回そういうことはあったが、毎週のように泣くようになっていた。日記にも「感情がガバガバになってどうしようもなくなるときが増えた」と泣き言を書いていた。

わたしの全てであるテレビからどうやって脱却し、新たな道を探すか

体調に変化をきたしていたものの、わたしはテレビの仕事を続けていた。湧き上がったテレビの仕事への疑問はあったものの、離れるなんてありえないと心のどこかで思っていたんだと思う。
仕事してないときも、ほとんどの時間テレビを見て過ごしているわたし、テレビが大好きなわたしからテレビを取ったら何も残らないのだ。テレビはわたしのすべて、テレビの仕事はわたしのすべて、そう思ってきた。
テレビの仕事から離れて、自分が何者でもないことを思い知るのが怖かったんだと思う。
そうした無理がたたって、心が悲鳴を上げたのだ。適応障害、うつ、不眠、意欲低下、情緒不安定などが今のわたしが抱えるものだ。

休職中もテレビの仕事をどうしようか悩み続けている。わたしのすべてで大好きであるテレビの仕事に戻るか、心の安定を優先して違う仕事にするか。
これまでの働き方をしていたらまたダメになるということだけはさすがに分かっているが、一生懸命がんばらない自分を認めてあげられるかが課題だ。わたし=テレビ=仕事というのをどうやって脱却し、新たな道を探すか。
病気を通して、わたし=テレビ=仕事というのは、うまくいっているときは問題ないが、一歩間違えると自分で自分の首を絞めてしまうというのは実感した次第だ。
これから私はどうやって仕事と付き合っていけばいいのか。

まずは自分の人生と仕事を切り離して考えるところから始めようと思う。今年30歳、再スタートにはいい時期、かもしれない。