看護師になりたかった。そう思い出した瞬間が、給与明細を見た時であったことも、今になって私らしいな、と思う。

ずっと看護師を夢見た私は、狭い選択肢の中で介護士の仕事を選んだ

ずっと、看護師になりたかった。女手ひとつで育ててくれた母の職種でもあったし、収入、名誉、制服……きっとこの職業ほどキラキラとした職業はないと思ったから。
小学校、中学校、高校……私は迷うことなく、進路希望に看護師、と記入していた。何となく手が届きそうな、輝いた職業……。希望理由はそれだけだった。
でも、結果私は今、介護士である。
届きそうなその手は、怠けることに手いっぱいで、進学をすることを諦めた。高卒で働ける仕事……それはそれは狭い選択肢の中で、私は今のこの職を選んだのだった。

「なぜ介護士を選んだのですか」と言う面接官に、「なんとか正社員で……」と、すがる思いで固めた嘘は、今になって重い鎧になる。
「幼い頃から家の近くに老人ホームがあって……」
「お年寄りとお話するのが好きで……」
淡々と出てくる言葉達を、口に出すたびに面接官の顔色が変わっていく。やがてその顔が満開になったところで、私は退出した。採用されたのだった。

あの時、この手でペンを握っていれば。明細書を見ると過去が蘇る

私は20歳である。その為、母親世代とそのもう一つ上の世代に囲まれた職場内では、キラキラと輝く存在である。なにか物事ひとつするにも「若いね」「かわいいね」そう言われるのだ。
もちろん厳しく叱られることは山ほどあるし、年齢以外の面の、例えばコミュニケーションの面だったりで注意を受けることだって沢山ある。
でも、この老人ホームという場所で、20歳が働いている。正直、それだけでとても居心地が良いのだ。恥であった自分の進路さえ、忘れるくらいに。

ただ、この明細書を見ると、過去が蘇る。
あの時、この手でペンを握っていれば。この数字が2になって3になって、私の生活は彩られていく。この着ている安っぽい服も、食べている弁当も、使っている家具も住んでいるこの家も、何から何まで、お金さえあれば、きっと私の生活は楽しくなる。
遠距離の彼に会いに行ったり、どうしても欲しいものを買ったり、そんなことをしていると、それほど多くない出費も、この私の小さなお財布では、簡単に膨らんでしまう。借金をするしかなくなって、親に頼りたくない私は、ローン会社に借金までしているのだ。

憧れか、介護士かの天秤で、介護士を選び続けるのは逃げだけじゃない

そう、私にとって仕事なんか、お金の為に決まっている。だからこの給料の低い仕事なんか、今すぐにでも辞めて、憧れだった看護師に再チャレンジしようと、これまでも何度も考えた。
だけどそれには、お金はもちろん、体力も時間も、そして何より私が1番苦手な「努力をすること」が不可欠なのだ。2つを天秤にかけた時、未だに介護士を取り続けているのは単にそれらから逃げているだけなのだろう。でもそれだけでもない気もする。

この仕事は、「やりがい」だけはすごくあるものだと思うのだ。
言い方は悪いが、同じ人間の口から出る言葉も、死を目前にしている人間の「ありがとう」は、とても重く感じるのだ。「かわいいね」だけではない。私の何倍も生きた人が語る教訓は、きっとお金の何倍も、私の生活を彩るヒントになっている。

最近の私は、給与明細を見ても看護師になりたいとはあまり思わなくなった。やっと現実が見えたのか、と笑う母の顔が浮かぶが、それよりもきっと、この仕事が好きなのだ。
叱られることばかりでも、たまにいる意地悪なおばちゃんに少しくらい攻撃されても、笑えない失敗してしまっても、何より「やりがい」を感じる仕事であるのだ。
きっとそれはお金に変えられるものではないと、私は20歳になってようやく気がついたのかもしれない。