2022年。
年が明けて、一にも二にもまず頭に浮かんだ言葉は、「あけおめ」でも「ことよろ」でもなく「ついに三十路」だった。
別にそれが嫌だとか、悲しいとか、そういう風には思わない。年を取るのは当たり前すぎるくらい当たり前のことだし、幸いまだ体力の衰えも、目に見える老いも感じない。その理由として、まだ独身で実家住まいという、プー太郎な部分にも誘因は少なからずあると思う。
結婚願望は、ない。というか、あったことがない。結婚して、夫がいて、子供がいる。そんな生活を想像することもできない。
私の祖母に言わせれば、「女の幸せは、家族に尽くすこと」なのだけれど、どうも私にはそうは思えない。それを理解出来ないほど、まだ私自身が子供じみているだけだろうか。
亡くなってから知る「祖母の歴史」。聞けば聞くほど探求心はが膨らんだ
2021年、10月26日、祖母は満八十歳でこの世を去った。寿命を全うし、大往生だった。
祖母が亡くなった悲しみよりも、亡くなってから改めて知った、祖母の歴史の方に驚いた。戦後では別段珍しいことではないのだろうけど、祖母は若い内に結婚、出産を経験している。
二十歳という数字は、私にとっては「まだ少女」という認識で、祖母はそんな少女のうちに、母になった。貧しかった幼少期、夜間学校に通いながら、日中は家計を支えるために働き、身体の弱い叔母と妹の面倒をみていたそうだ。読書をこよなく愛し、いつか小説家になることを夢見ていたらしい。
親戚に話を聞けば聞くほど、祖母が十代の頃に書いた手記を読めば読むほど、祖母に対する興味、探求心は風船のように膨らんだ。
私は、自分が生まれてからのほんの十数年の祖母しか知らない。その前に、祖母には何十年という歴史があって、いくつかのドラマがあったということに、今更気付いたってもう遅い。
生きている間に、もっと接すればよかった。半世紀以上も歳の離れた老人は、もはや何を考えているのかも分からない宇宙人扱いせず、じっくり話を聞けばよかった。
記憶の中の祖母は割とアウトローな人。もし会えたなら何を聞くだろう
今私には、三十歳を目前にして、祖母に聞いてみたいことが山ほどある。「先人の知恵」とはよく言ったもので、長く生きた者にしか分からない真実、辿り着けない境地は、確かにあるのだろう。
少女として、女として、妻として、母として……。
自分が今一体どの段階にいるのか。「女です」と言いたいけれど、自信を持ってそう言い切れない。まだまだ考えが甘くて、親や社会の脛を齧る子供のままな気がして、怖い。
ただ、だからこそせめて「人間」として、道を外れるようなことがあってはいけないな、と思う。誰だって常に助けられて生きているんだから、持ちつ持たれつ、支え合って生きて行くために、常に誰かを思いやる気持ちは忘れたらいかんなあ、と思う。
その点、記憶の中の祖母は、割とアウトローで激しい人だった。詳細には書かないけれど、なんとなく「ふつう」ではなかった。そんな祖母のことを、子供ながらに怖いと感じることもあるにはあったけれど、まあ、今思えば、そういうとこで人生を清算していたんだろうな。
もし今、祖母に会えたなら。私は何を聞くだろう。
「若くして妻、母になるって大変ですか」
「子育てをしていて、ふと、私って一体……、とか急に焦燥感に駆られたことはありますか」
「祖父以外に、結婚後の秘密の恋はありましたか」
とかとか。思いつく限りでも、ありきたりで毒にも薬にもならない質問しか思い浮かばない。
唯一の理解者になりたくて書き始めた物語。きっとこれは祖母の意志だ
思い返すと、祖母の言動には奇怪で理解できないことがたくさんあって、私はそんな祖母を、無意識に避け続けてきた。
「この人……、ヘン」。
言葉には出さずとも、家族を含めた周囲の人達から、そんな雰囲気をひしひしと感じ取ったであろう祖母は、さぞかし孤独であったにちがいない。
2022年。私はどういうわけか、そんな彼女の唯一の理解者になってみたくて、祖母の物語を作っている。想像と記憶を織り交ぜて、どうにか心に触れられないものかと、自分でも不思議なくらいに躍起になっている。
今の所、やっぱり訳が分からず早くも挫折しそうだけれど、一歩一歩、着実に近づいている気がする。しかもそれは、時に家族とはかけ離れた世界の中にポツリと見つかったりするから、面白い。不思議な繋がり、因果関係を感じて、また私にそうさせているのは祖母の意志のような気もして、今までに感じたことのない推進力を実感している。
もう少し、もう少しだけ待っていて下さい。
私は必ず、完成させてみせるから。
完成したら、出来れば笑って、褒めてくれたら嬉しいのですが。ついでにぎゅっと抱きしめてくれたりなんかしたら、もっと嬉しいのですが。