私は冷静に家の中で暴れた。原因はいつものように母親だ

つい最近のことだ。原因は些細な事だったが、日ごろの鬱憤が爆発してしまった。私はキッチンの物を投げ飛ばし、荷物だらけの家の中を引っ掻き回したのだ。暴れている最中、頭はとても冷静だった。
原因は大方、母親だ。母親が訳のわからない理由で私をそしったのである。普段からよくイジワルを仕掛けてくるが(それで治らない傷がいくつもできてしまった)、連日嫌なことが重なっていた私は耐えきれなくなっていたのだ。

家の中で暴れまくっているとすぐに「何してるんだ!」と母は私に襲い掛かってきた。
母はいつも私に馬乗りになり、殴ってくるのである。小さい頃からそうだった。
馬乗りになられた私は手足をジタバタと動かし、激しく抵抗したが、後から参戦してきた姉に足を押さえつけられてしまった。
「またそうやって殴るんでしょうね!」
「私がお前に何をした?殴ったか?首を絞めたか?」
「全部やられたよ!それだけじゃない!あんたは何度も私の人生を壊してきた!」
「私はあんたよりずっと苦労してきてんだよ!」
昔から人が何かを言ったらそれに発言を被せ、聞く耳を持たない人だった。だからこのように会話のキャッチボールが全く成立しないのである。
それから母は自分がどんなに苦労してきたのか、私の左手に爪を食い込ませながら涙ながらに語った。ちなみに私の左手は今も母の爪痕が残ったままである。

「君は虐待していた!」父の言葉を聞いて力が抜けた

私はその間、気絶したふりをしていた。昔から私はそうして演技をすることで母の気が緩んだ隙に逃げ出していたのである。しばらくすると、苦労話を延々と語っていた母の矛先は私から父へ向かった。
「もう、あんたがこの子に『虐待なんかしていない』ってはっきり認めなかったからこんな出来損ないになっちゃったのよ!」
自分に敵意を向けられた瞬間、我関せずを貫いていた父は激しく激高した。
「君は確かにこの子を虐待していた!事実から目を背けてるのは君だろ!」
父の一言が発せられた瞬間、気絶しているふりをしていたはずだが、私の全身から一気に力が抜けた気がした。

母の問題行動は私が幼い時には既に方々から目をつけられていた。何度児童相談所の話が持ち上がったのか、何度私が大人たちに「大丈夫です」と言ったのか。全てはこの人たちの世間体を守るためだけに私は暴力を受け続けていたのか。肉体的に、精神的に。

そんなことは知りたくなかった。叶うことならもっと早くにこんな家から離れたかった。1か月後に私は姉と実家を出て、2人暮らしすることが決まっていた。だが、もっと早くに「虐待を受けていた」と私が認めていれば良かったのだ。
いくらでもチャンスはあった。大人はやっぱり憎かった。それ以上に変化を恐れて「虐待」の事実を認めなかった自分が憎かった。

姉に無理やり止められ、二人で泣き合った

「お願いだから暴れないでくれ」
やっと私が動かなくなったことに気づいた母は、そう言ってゆっくり離れていった。母親が離れるタイミングを狙い、私は胸ぐらを掴んだ。

「何が『自分は苦労してきました』だ?それがどうした?私はあんたと違う人間なんだよ!そこをいい加減理解しろよ!なあ!あんたがどんなに苦労してこようが私の人生荒らしていい理由にはならないんだよ!なんでわからないの!」
「そんなに憎いなら私を殺せ!親殺しは長いぞ?それでもいいならさっさと殺してくれ」
「やめて!傷つけあわないで!」
姉に無理やり止められて私はその場で崩れ落ち、泣いた。姉と二人で泣き合った。

私の手から離れた母はそそくさと逃げ出し、恨みつらみを吐いて、父親と揉め続けていた。
姉に「頼むから何もやらないで。今は寝て」と頼まれた私はすぐに床に就いた。翌朝、目覚めると家の中は整頓された荷物だらけの元の姿に戻っていた。

私の育った地域は数年前にとある理由で世間を騒がせていた。その時に報道されていたニュースに出てた近隣住民の奥さんの発言を私は今でも覚えている。
「この場所に虐待なんて存在しないのだから」
奥さん、どうやら虐待はあったらしいですよ。