バレンタイン、それは年に一度の作業日だ。
世間では、恋する乙女が意中の男子のために心を込めてチョコレートを作り、ドキドキしていることだろう。しかし、私は違う。

2月に入り、世の中がバレンタイン一色となるころ、何を作るかを考え、買い出しに行く。この買い出しを計画し実行している時間がなによりも楽しいのだ。
レシピサイトから簡単に作れそうなチョコレート菓子を探し、必要な分量をメモに残し、材料をリストアップしていく。板チョコが何枚、生クリームや牛乳は必要か、ホットケーキミックスを使えばできそうだ、などと考えながら作業は進む。

午後11時。家族が寝たことを確認し、お菓子作りをスタート

学校帰り、近くのスーパーに寄って買い出しを始める。買い物を始めると、売り場までどれだけスムーズに進めるか、というゲームを1人で始めていることもある。こうして必要な材料を次々にかごに入れ、帰宅する。
帰宅したらすぐには作らない。なぜなら、母が夕飯を作っているからだ。
私が作業を始めるのは、ゴールデンタイムの番組が一通り終わった、午後11時ごろ。家族が寝たのを確認してからスタートする。

買ってきた材料を袋から出し、冷蔵庫から出し、ボウルや泡立て器を出す。携帯でレシピサイトを開き、レシピにそって作業を進めていく。
意外に時間がかかるな、と感じながらも楽しさを知っている私は、夢中になってお菓子を作っていく。
チョコレートを湯煎で溶かし、レンチンで緩めたバターを投入する。ホットケーキミックスに牛乳と卵を入れて液状にしたら、溶かしたチョコレートとバターを入れて混ぜる。オーブンは予熱をして、型にクッキングシートを敷いておき、その中に生地を流し込む。焼いている間は、大好きなアーティストのライブDVDで時間をつぶす。
すべてが終わるのは夜中の3時くらい。新聞配達のバイクの音を聞いて寝たこともある。

誰彼かまわず食べてもらえるようにタッパーに入れ、クラス中を歩いた

この流れが毎年の恒例となっていたが、高校生のとき、気づいてしまった。
ラッピングが面倒くさい。
できるだけ多くの人にあげられる方法はないか。
そこで私は、とある計画を実行した。
それは、大きなチョコブラウニーを作り、一口大に切り、タッパーに詰めて持っていく計画だ。
チョコレートを使ったお菓子であることには代わりはない。それに誰彼かまわず食べてもらえる。タッパーで持っていけばかさばることもない。名案だと思った。

このアイデアを思いついた私は、早速ブラウニーを作り始める。女子ウケも考えて、プレーンとオレンジピールを混ぜたものの2種類を作った。一口サイズに切り、タッパーに詰められるだけ詰めた。そして、皆がお弁当を広げているなか、私はタッパーを持ってクラス中を歩いた。

はたから見れば、どこかマッチ売りの少女に似たものを感じたかもしれない。全部食べてもらうことを目標に、いろんなテーブルに「食べる?」と聞きまわった。
さすがに個数が多かったのか、1周ではかなり残っていたため、2周ほどまわりタッパーを空にした。

何個も食べてくれる人がいて、とても嬉しかった。友達が少なく引っ込み思案な私だが、普段話しかけないような人にも話しかけてみることができた。この日はいつもよりクラスの中の存在意義を感じることができたのだ。

食べたいからではなく作りたいから作り、食べてくれる人がいる喜び

バレンタインに限らず、普段の料理もそうなのだが、料理は作りたいから作るのであって、食べたいから作るわけではない。特にバレンタインは、チョコレートを使ったお菓子を作りたいから作る。
食べてくれる人がいてくれるこのイベントは、たいへん助かっている。そのため、自宅に残っているお菓子は、ほとんど家族が食べていた。小腹を満たすおやつとして最適だったらしい。

意中の男子はいなかったが、真夜中に始めるお菓子作りはとても楽しかったし、いい思い出だった。明け方に寝ることも、なかなか経験できることではないし、背徳感があり楽しかった。好きなことをして時間が過ぎて、仮眠のように短い睡眠時間で翌日学校へ行くのは、学生の夢でもあったと思う。
いわば、真夜中のカップラーメンやポテチみたいなもの。
絶対後悔するとわかっていながらも、夜な夜な作業をして寝不足になる。翌日の授業は割と夢の中にいる時間が多かったかもしれない。

バレンタインは、私にとって作業の時間であった。だが同時に、とても楽しい時間でもあった。
たとえ恋人がいなくても、友人が少なくても、自分の作ったお菓子を食べてくれる人がいる嬉しさは、これらを圧倒的に凌駕するものなのだ。