もし今あなたに会えたなら、辛かった学生時代を帳消しにすることはできたのだろうか?

私の中学生時代は最悪だった。父親が仕事を辞め無職、祖母が認知症になった。
自宅介護は壮絶で、認知症の祖母と母親がバトルをする、父親がキレる、私はわめき泣く。とにかく思い出すだけで嫌な思い出しかなかった。
私には兄弟がいないので、この記憶は私しかわからないものだと思う。

認知症になった祖母は、私たちの家に住むことに。母の介護が始まった

私が会えるなら、と考えたのはその認知症になった祖母だ。
私が生まれた頃には、すでに祖父は亡くなっていた。従兄弟の母親(私の叔母)が私が生まれる半年前に亡くなり、当時小学生だった従兄弟の母親代わりをしていた。
私が小学生の頃に何度か私の家にも住むようになったが、私は祖母のことが嫌いだった。祖母の言う一言が全部バカにされているように聞こえた。今思えば大したことではないんだろうけど、当時の私のプライドが許さなかった。

そんな祖母が認知症になったのは私が中1の頃だった。その頃に、父方の祖母が急に亡くなった。それと同時だった記憶がある。

認知症というのは怖い病気だった。
突然家を出て行って徘徊したり、急に暴力的な発言をしたり、人を忘れたりする。一人暮らしができなくなった祖母は私達の家に住むことになった。母による自宅介護であった。

母の精神状態はその時最悪であったと思う。父親が無職になったことにより、すでに家庭環境は崩壊していた。祖母と喧嘩する日もあれば、父親と喧嘩する日もあった。
私はその度に泣きわめいた。祖母をお風呂に入れていたと思ったらいつの間にか喧嘩が始まっていたり、私が学校から家に帰ろうとすると祖母が徘徊していた。その時あたりから私の名前も曖昧になっていた。

両親が喧嘩をしたクリスマス。一緒に寝た祖母の温かさを忘れられない

中学生の時に訪れたクリスマスのうち2回は、両親の大喧嘩が始まって認知症の祖母と2階の部屋に避難していた。母親は友人を呼んで号泣し、無茶苦茶な状態だった。
祖母は認知症だから味方にはなってはくれないと思っていたので、私はずっとひとりぼっちだった。けれど、その時一緒に寝た祖母の温かさは今でも忘れられない。

数年後、祖母は介護施設に入った。私のことはすっかり忘れてしまったからだと思うが、母親は私を祖母に会わせなかった。
ただ1つ覚えているのは、母親がわりにしてくれた従兄弟が祖母に会いに行った時に従兄弟の名前を忘れていたらしく、従兄弟が泣いていた記憶だけはある。私の中で祖母はすっかりいなくなっていたし、きっと祖母の中にも私はいなかったはずだ。

専門学校に入って間もなく、祖母が亡くなったと母親から知らされた。当時両親の仲は相変わらずよくなかったので色々気を使った記憶があるが、葬式ではちゃんと泣いていた。
葬儀場を考えるとき、父親の一言で場所が決まった。祖母が生前話してた「小さな場所でして欲しい」と言っていた葬儀場だった。
意外だった。父親も祖母も言い争っていたので、そんな発言を覚えている父親にびっくりした。両親の仲が悪いなかの葬式は、なんとか無事に終わった。

祖母が生きていたら一緒に思い出を作りたい。変わったのは私だった

母はその直後1週間、仕事を休んでいた。今でも毎日母の両親の仏壇に手を合わせている。私はその後、祖母の話を一度もしたことがない。父はおろか、母とも。

周りには祖父母がいる友人はいる。どうか祖父母が生きているうちにたくさん話をして欲しい。私のように忘れられる前に。
私はなぜ祖母が嫌いだったのだろうか。今祖母が生きていたら、ちゃんと会話ができる気がするのに。あの辛かった学生時代を帳消しにして祖母と思い出を作りたかった。

何も思い出がないわけではない。小学生の時に祖母は運動会を見に来てくれたし、氷川きよしのコンサートに行く祖母と「ズンドコきよし」を歌っていた記憶もある。花火大会に行く時には浴衣の着付けもしてもらった。いつからか私が変わってしまっただけだった。

これを書き切った暁には、1人でお墓参りに行こうと誓った。