7月23日、わたしの祖母の一周忌を迎える。
一年経っても、祖母のことを思うと涙が出てくる。
そう思うと、私の人生の中で祖母の存在はとても大きかったのだなと思う。
両親は仲が良くて、よく二人で出かけていた。
祖父が早くに亡くなり、一人暮らしをしていた祖母に預けられ、ともに過ごす時間が多かった。
だから余計にそう思うのかもしれない。
わたし好みのトーストや散歩コース。祖母なりにいろいろ考えてくれた
高齢の方だと朝早起きというイメージがあったのだが、祖母は起きるのが遅かった。夜遅くまで趣味のちぎり絵をやっていることがあった。何かに没頭することで気を紛らわしていたのかもしれない。
そうはいっても起床時間は8時や9時だから決して遅すぎるわけではないのが。
朝のわたしの仕事は決まっていた。
亡くなった祖父の仏壇の扉を開けること。
祖母が毎日かかさずあげているコーヒーをわたしはいつも持っていき、手を合わせるのが日課だった。
トースト派の祖母は柔らかいダブルトーストを網でいつも焼いていた。
火加減が難しいけれど、祖母はいつも絶妙な焼き加減でくれる。
不器用な母が焼いたこともあったが、いつも真っ黒になる。
よく二人でバスに乗って駅まで行き、本屋に行ったりお団子を買ってもらったりしていた。決まってわたしが選ぶお団子は、醤油をつけて焼かれたお団子に海苔が巻いてある磯辺団子だ。本当は祖母はみたらしだんごがよかったのかもしれないけど、この時はいつもわたしが食べたいものを買ってくれていた。
時にはすこし離れたしまむらに行き、洋服を買ってもらうこともあった。
よく家の近くにあるスーパーやコンビニ、駄菓子屋さんにもお散歩で行っていた。少しでも孫が飽きないようにと、祖母なりにいろいろ考えてコースを変えていてくれたのかもしれないと今更ながら気づく。
いつでも会えると思っていたのに。祖母に感謝の言葉を伝えていない
わたしはこの時同じ関東圏に住んでいたので、気軽に来ることが出来ていた。
中学2年になり、東海方面に引っ越してしまってからはなかなか行く時間も機会も少なくなってしまった。
時々行って、泊って帰るときにいつも外に出て見送ってくれる祖母にいつも想いを馳せていた。
「今度はいつ会えるだろう、元気でいてね」
と。
素直に気持ちを伝えることができなかったわたしは、あまり祖母に感謝の言葉を伝えられていなかったように思う。
そう気づいたのは、祖母が認知症になり体力的にも一人暮らしが厳しくなり、施設に入ってからだ。
やはり時間というものは誰にでも平等にやってくるもので、人は年をとる。
わたしも年を取れば、祖母も年を取っている。
自然なことなはずなのに、どんどん痩せていき、ほとんど寝ていて身内のこともわからなくなり、目を開けることが少なくなっていく祖母の様子を受け入れることが出来なかった。
亡くなったという言葉を母から聞いたときも、信じたくなかった。
いままでいつでも会えると思っていたことに後悔の嵐だった。
「泣いてるんじゃないの」。雨上がりの空に祖母の笑顔が見えた
走馬灯のように想い出が頭の中をよぎった。
お祭りに行った日
歯医者に行った日
ケンカをして拗ねてわたしが家出をした日
寝れなくてぐずっているわたしをあやしてくれた日
家族で旅行に行った日
ひとつも当たり前ではなくて、大事な思い出だ。
もう少し早く大人になっていたら、もっと言葉を交わせていただろうか。
花嫁姿を見せられただろうか。ひ孫を見せられただろうか。
わたしはせめてと思い、感謝とごめんねという気持ちを手紙に託し、棺に入れた。
悔しいけれど、叶えられなかった。
きっと天国で祖父と会って、「こんなこと言ってるよ」と笑ってくれているだろう。
葬儀の日は朝から雨が降っていた。
でも、葬儀が始まってからは雨が止み晴れ間が見えてきたのだ。
まるで、「いつまでも泣いてるんじゃないの」とでもわたしをあやすかのように。
雨上がりの空に祖母の笑顔が見えた気がしたから、泣くのは雨が降っているときだけにしようと思った。