「仕事」とは、社会人としての義務。「仕事」とは、生活していくために、収入を得るために、切っても切り離せないもの。だから、「仕事」は自分の好きなことじゃなくても、楽しくなくても、苦でなければそれで良い。
そう思っていた。
一年前、休職するまでは。

大学の専門分野とも希望とも違う仕事でも、辞めまいと思っていた

私は新卒で入社した時から、少しイレギュラーだった。
内定をもらった後に社長が交代して子会社化、私が入社して半年後には吸収されることになった。それに伴って、私が着任を希望していた事業は廃止となり、私は大学の専門分野とも本来の希望とも違う「仕事」をすることになった。

それでも、私には冒頭の考えがあったので、辞める気はなかった。早々に経済的に自立して、自分の人生を自分の責任で歩むことが、私の一番の目標だったから。
続けることを目標にすれば、続けることだけは可能だと、学生時代のアルバイトで学んだ。だから少なくとも3年、経済的な基盤がある程度安定するまでは、辞めまいと思っていた。

希望とは違う、全く新しい分野での仕事は、もちろん大変なことの方が多かった。
同期の間でも既に大きなスキルの差があったし、業務的にもかなり難しい分野に携わることになった。一番デキる新人になろうとは思わなかったけれど、使い物になる一員にはなろうと思った。
プライベートの時間は確保したくて、学ぶべきことは業務時間内に頭に叩き込み、振られたタスクも極力残業せずに片づけた。
夜には自宅に戻り、好きな動画や配信を観ながら、ご飯を食べたりお風呂に浸かったり。たまの寄り道では、本やCDを買って帰ったり。土日は休日で、ゆっくりするのも、おでかけするのも自由。
貯蓄ができるほどではなかったけれど、就活時代に比べたら、毎月心豊かに生活できるだけの給料を貰えていた。それで良いと思っていた。「新人」じゃなくなるまでは。

大きくなる周りの期待と仕事の規模。楽しい時間は自ずと消えていく

私が2年目に入ったくらいから、私は既に一人前、もしくはそれ以上になることを期待されていたように思う。より知識が必要な、高度な仕事を任されて、一時期は毎週出張に行っていた。
その後、直属の先輩はいなくなり、一番知識と経験のある人間は私だけになった。その状態で、今までより大きな案件が来た。それが私を蝕んでいった。

最初は締切も曖昧で実のなるものか分からなかったものが、その大きさの見誤りから急な締切を迫られ、何度もその延期を交渉した。それでも大きな案件だけに、進めれば進めるほど課題が浮き彫りになり、手直しと見直しを繰り返した。
残業が当たり前になり、終電で帰るのが当たり前になり。休日出勤や始業時間の繰り上げ、果てには24時間以上帰れない日もあった。
大好きな配信には間に合わず、本屋もCDショップも、飲食店すら閉まった真っ暗な街並みを一人歩いて帰る。プライベートや楽しい時間は、自ずと消えていった。

仕事は楽しみややりがいがないと、自分が壊れて何も残らない

仕事のやりがいや楽しさはどこにもなかった。ただ必死で、自分の仕事にも周りの仕事にも、どこかしら抜けがあるに違いない。そんな疑念が拭いきれなかった。
何度も伸ばした締切のせいで、客先からの評価は下火続き。どれだけ頑張って締切に間に合わせても、納品後に何の問題も起きなくても、評価がプラスになることはない。そして、納品後に何事も起きないなんてあり得ない。そう確信できるくらい、難しくて大きな案件だった。
それでも自分が経験者である以上、最前線に出て働くしかなかった。

不規則な生活と体力の限界を超える勤務の連続で、私は不正出血を起こし、適応障害の診断も受けた。そこから休職し、結局退職した。

今の私は、少しだけ考えを改めた。「仕事」は生きていく上で切り離せない。だけど、そこに楽しみややりがいがないと、自分が壊れて何も残らない。そして、それとは別に自分の楽しみ、好きなものも大切にしていきたい。
天職に巡り合うのは難しく、そのバランスをとるのはとても難しいのだろう。だけど、私はそれを探りながら生きていきたい。