終業時間が近づくのを確認して、静かにパソコンを閉じる。定時退社が私の日課だ。
世間的には「ホワイト企業」に勤めている状態だが、私はそれを望んで入社したのではない。

仕事中心の生活に憧れていた私は、希望の部署に所属できた

4年前の会社説明会で採用担当者はこう話した。
「皆さんには沢山の仕事が待っています。残業は当たり前。深夜勤務や早朝勤務もあります。厳しい環境だけど、プロジェクトを達成した時の達成感は何にも代えられません」
一般的に深夜勤務や早朝勤務は好まれていない。しかし私は幼い頃から、仕事中心の生活に強い憧れを抱いていた。だから、採用担当者の言葉を聞いて心が躍った。
仕事に打ち込んで達成感を味わってみたい、奮闘する日々を過ごして夢を実現したい。そう考えて入社した。

配属されたのは、「残業が当たり前」の会社の中でも特に過酷と言われる部署だった。社員の仕事量は想像以上だった。
日が昇る前に出社した先輩が、日が落ちるまで働いていることも珍しくなかった。社員がせわしなく動き、オフィスにはいつも独特の緊張感が漂っていた。

しかし繁忙期が終わると、途端にオフィスの空気が和らぎ、先輩たちの表情が優しくなる。その瞬間が私は大好きで、この部署に入れたことが心の底から嬉しかった。

しかし入社して1年が経とうとしていた頃、新型コロナウイルスの感染拡大によって私の人生は大きく変わってしまった。
私の会社の仕事は、業務上、人との接触が避けられない。予定されていたプロジェクトは全て白紙になり、部署内のチームも全て解散になった。
残ったのは、人との接触を避けてもできるわずかな仕事。私の部署の仕事はほとんどなくなってしまった。
仕事が減るということは会社の売り上げも減るということ。経費削減のためか、原則として定時退社を義務付けられた。

たくさんの人が異動になり、変わり果てたオフィスに感じたのは絶望

最初のころはすぐに元に戻るはずだと、みんな前向きだった。
本来の忙しさが戻ってきた時に役に立つ準備をしようと決め、オフィスのレイアウト変更や資料の整理など、今まで時間がなくてできなかった内輪の課題をどんどん解決していった。私も先輩たちに負けじと、今までと変わらないやる気で仕事に打ち込んだ。

しかし事態は一向に良くならず、2年経っても元に戻る気配すら感じられなかった。仕事は縮小したまま。にもかかわらず人事評価はやってくる。
評価されるため、みんな必死だ。職場では仕事の奪い合いが起こるようになり、声を張り上げて他人の仕事を奪おうとする先輩すら現れるようになった。
無理やり新しい仕事をつくって評価を上げようと、コピー用紙の削減や手洗いの徹底を促す張り紙づくりを仕事にしようとする人も現れた。

会社がその状況を許してくれるはずはなく、たくさんの人が異動になった。変わり果てたオフィスの様子や、入社当時憧れていた先輩たちが相次いでいなくなる状況を見るのは辛かった。
頑張りたくても頑張れない状況に、私は絶望した。

頑張りたくても頑張れない仕事を続ける私は、取り残されている?

仕事に没頭する。私はそれを望んでいた。しかしこの2年で、「頑張りたい時に頑張れるのは恵まれた人だけなのかもしれない」と思うようになった。
社会の状況によっては、頑張りたくても頑張れなくなってしまうことがある。私は仕事に達成感を求めるのを諦めることにした。仕事は仕事と割り切って、頑張るのをやめようと決意したのだ。

新型コロナによって「おうち時間」が増え、それ以前より充実した生活を送る人が増えていることから、「アフターコロナ」に期待する声も多い。一方で私は今に満足することも、少し先の未来に期待することもできていない。
私だけが時代の波に取り残されているのだろうか。
そんなことを考えながら、頑張りたくても頑張れない仕事を続けている。